旅倶楽部「こま通信」日記

これまで3500日以上世界を旅してきた小松が、より実り多い旅の実現と豊かな日常の為に主催する旅行クラブです。

グレンダロッホ

2019-08-21 15:00:00 | アイルランド

10から12世紀ごろのものと思われる、アイルランド独特のラウンド・タワーが残されている↓

グレン=谷、ロッホ=湖 は、谷間に残された六世紀からの初期キリスト教遺跡。

↓かつてはこんなコミュニティだっただろうという想像図↓

アイルランドの初期キリスト教はローマン・カソリックとは違う男女一緒で家族で住むスタイルだったようだ。ノルマン人(いわゆるバイキング)がやってきて、イングランドの軍が侵攻し、カトリックスタイルの修道院に変革していったのはいつごろなのだろうか。

谷の奥にある二つの小さな湖から流れてくる川を渡る↓

川の水はこんな色↓やはり泥炭地なのだ↓

 

 

二重の門アーチ↓をくぐると

修道院の入口だった二重の門↑(上の復元図で右端の川沿い)↓

教会群と墓地がひろがる↓

前出のラウンド・タワーの入口は地上から三メートル以上の高さにある↓

ラウンドタワーの構造はどれもそれほどは変わらない※キルケニーのラウンド・タワーに登った時の写真をこちらからごらんください

 

六世紀にこのキリスト教共同体をスタートさせたのは聖ケヴィン。

彼の修業し埋葬されたと伝わる小さな礼拝堂 ラウンド・タワーの小さなものはあとから付け加えられたものだが、これが煙突みたいにみえるので「聖ケヴィンのキッチン」と通称されている。 内部はもう何も残されていない↓ 19世紀にここまで修復されたが、それ以前はどんな惨状だったのだろう。 屋根にとりつけられた素朴な十字架はもとからここにあったものなのかしらん? 最も大きな教会は壁だけが残されている↓何度も拡張されて13世紀にここまでの大きさになった 人々が集まっただろうケルトのハイ・クロスもある ★グレンダロッホは1398年には廃墟になっていた。 スコットランドからやってきたエドワード・ザ・ブルース(有名なロバート・ザ・ブルースの弟でアイルランドの王を称していた)とロジャー・モティマー(イングランド王リチャード二世のいとこ)の、アイルランド統治をめぐる戦いにまきこまれた結果だった。この時期はまだ両者ともにカトリック信仰。アイルランドはこの時代からずっと受難の歴史だったのか。


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