旅倶楽部「こま通信」日記

これまで3500日以上世界を旅してきた小松が、より実り多い旅の実現と豊かな日常の為に主催する旅行クラブです。

セゴビア~アルカサールからベラクルス教会へ

2015-04-18 13:14:07 | スペイン
《手造の旅》スペイン中部小都市めぐり3日目。
セゴビアで、今まで行きたくても行けなかったベラクルス教会を訪れる。
ベラクルス教会はセゴビアの城外にぽつんと建っている、十二角形をしたロマネスク様式の教会である。

アル・カサールからこの風景の中に美しく立ち続ける姿を見て、「いつか訪れたい」と思い続けていた。


アル・カサールの定番見学を終え、眼下に城を取り巻いている小さな川まで降りてゆく

春先は花も美しい。
少し急な階段だが、川べりから見上げるアルカサールの姿が美しい城からの通路が通じていたと推察される構造物も川べりにみえる
我々をむかえに来たバスはこの近くに駐車しているが、ベラクルス教会まではもう少し歩いて上がっていかなくてはならない。雲が少し出ている今日の様な空は、希な姿をしたこの教会を美しく見せてくれている。

のぼりきって振り返ると、さっきまで居たアルカサールがそびえている。


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ガイドブックにはテンプル騎士団によって建てられたと書かれたものがほとんどだが、現場で入手した最新の情報では、ここから北西方向にあるTOROの街の参事会教会が建設したものではないかと推定されていた。TOROは今回の旅の後半に訪れることにしている後期ロマネスクの巨大な教会がある。

テンプルとはエルサレムにある「岩のドーム」を指す。八角形をしていて、ベラクルス教会のモデルになっている建物だ。テンプル騎士団はかつてそこを本拠にしていた。よって、後世の人は、この建物もテンプル騎士団のものと思う方が簡単だった。

テンプル騎士団がフランス王によって壊滅させられ、この教会は1531年にいわゆるマルタ騎士団の管理下に置かれるようになった。同じ十字軍ゆかりの建造物と考えた方が自然に思えたのでもあろう。

マルタ騎士団が設置したと思われるこの教会の縁起が、入ってすぐのところに掲げられている。

超意訳すると「1246年4月(現在の暦になおすと1208年)、聖墳墓(サンセポルクロ)とそこに眠る人々に敬意を表して建設す」となろうか。

中心の礼拝堂をぐるりと囲む構造は、トマール(ポルトガル)の礼拝堂やボローニャ(イタリア)のサン・ステファノ教会のもっとも古い部分と同じ古代の教会の流れをくんでいる。
★ボローニャのサン・ステファノ教会を訪れた日の写真日記は⇒こちらからご覧ください。
★トマール(ポルトガル)の修道院を訪れた日の写真日記は⇒こちらからご覧ください。

当初この教会は「聖墳墓教会」という名前だったが、キリスト受難の「聖十字架」の一部が安置されていたことにちなんで、1531年に現在の「ベラクルス教会」の名前に変えられた。

中央二階ここがいったいどのように使われていたのかよく分からない。

内部装飾は現在ほとんど残っていないが、「聖十字架」=キリストが刑に処せられた十字架の一部が安置されていたという礼拝堂には受難に関係するものが描かれたフレスコ画が一部みられた。

外部をぐるりとまわってみる均整のとれたロマネスク構造。壁に陽時計の跡外壁に沿って、このくぼみに埋葬されていた人があったのがわかる。

なぜ、外側に?どのような人が?全く資料もないが、もともとこの場所には、ぽつんと残された教会だけでなく修道院や墓所もあったようだ。

もともとの正面玄関であったと思われる入口実に均整がとれていて、ロマネスクのポータルがそのまま残されているように見えた。

修復の結果このように復元されたのではあろうが、セゴビア市内にある多くの元ロマネスク教会に比べ、中世から引き継がれた雰囲気を強く感じさせてくれる場所である。

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