旅倶楽部「こま通信」日記

これまで3500日以上世界を旅してきた小松が、より実り多い旅の実現と豊かな日常の為に主催する旅行クラブです。

一年ぶりボローニャ

2014-10-15 04:06:26 | イタリア
昨年2013年9月にはじめてちゃんと見学する機会をいただいたボローニャ。一年後の2014年10月、その成果を踏まえてエミリア・ロマーニャをめぐる旅を《手造》した。参加人数は《手造の旅》史上最少の六名+小松。この人数でなら小さ目のバンに乗れるから、バスよりずっとずっと効率的な旅ができる。
2013年9月のボローニャ観光の日記はこちらからご覧ください。

羽田発08:50でロンドンに向かい、乗り継いで同日夕方18時過ぎにボローニャの空港へ着いた。旧市街のホテルにチェックインして、すぐに少し歩いてみる。ゲーテ曰く「不安な気持ちにさせる二つの傾いた塔」がライトアップしていた

*翌朝、美しく晴れた空。ボローニャのランドマークになっているネプチューンの噴水

手に持っている三又槍が、1914年創業した車会社マセラティのマークになっているボローニャでマセラティ三兄弟が起業したことからきているそうな。

アクルシオ宮殿=左部分が市庁舎が朝の光に赤く輝いている。※アルクシオとは、13世紀にボローニャ大学で教えていた高名な法学者の名前。 地のレンガが赤い色になるので、ボローニャを赤い町ともよぶ入口にはボローニャ生まれでボローニャ大学に学び・教えたグレゴリウス13世の像。現在われわれが世界基準として使っている暦は彼が制定したもの。

ボローニャ大学は1088年創立の世界最古の大学。当時は教会や私邸の一室で教えるのが普通だった。大学としての建物が建てられたのはこのアルキギンナージオと呼ばれる建物が最初。1562年にピウス四世の命により建設が開始された。

学生にしろ教授にしろ、ここに席を置くことができるのは名誉な事で、個人紋章などがぎっしり飾られている。

この建物でいちばんの見どころは「解剖学教室」

罪人か近くの病院で死亡した下層階級者の遺体をつかって、1月の夜にのみ行われた。
主催者はいちばん高い席に座り講義する。その下に座る次席の者が長い棒をつかって大理石台の上の遺体を指さす。そして、そばにいる三番目の者が実際に切った。

現在のこの部屋は、1944年1月29日の爆撃によって完全に破壊されたものをほぼ忠実に再現したものだそうだ。
壁には医学の祖ヒポクラテス(※写真一番右)をはじめ、この大学で教えていた著名な医学者がならんでいる
天井からは薬の神としてのアポロが、竪琴ではなく松明を持って見下ろしてた。※現在は松明は失われている

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二つの塔、青空によく映える


★サン・ステファノス教会へいたる
ここは「七つの教会」という名前があるように、古代からいくつもの建物が敷設されて、今の様なかたちになった。

もともとエジプト起源のイシス女神を祀る神殿があったとされている場所。その時代から湧き出ていた水は、今も八角形の聖堂の真ん中から流れ出している。

古代の雰囲気を色濃く感じさせる空間の一角に、黒い柱がある。伝説によれば、これはエルサレムでキリストが繋がれた柱だとされ、これに触れることで地獄行きが回避されるのだそうな。中世の巡礼たちにむけて、小さなエルサレムを再現しようと、5世紀の聖ペトロニウス(※ボローニャ司教だった自分にして、現在街の守護聖人)がいろいろな訪問場所を用意したように見える。

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