旅倶楽部「こま通信」日記

これまで3500日以上世界を旅してきた小松が、より実り多い旅の実現と豊かな日常の為に主催する旅行クラブです。

ベルン旧市街散策_ふたたび

2023-07-06 14:57:36 | スイス
「下に見えるのが古い橋です」
アーレ川がU字型に蛇行した先端に、
ベルンで最も古くからある「ウンター・トーア・ブリュッケ(塔の下の橋)」が見える。
1255年に木造屋根付き橋としてかけられ、
洪水で破損した1461年に石でかけかえられた。

この写真を撮っているニーデック橋が1844年にかけらるまで、
ベルン旧市街にかけられた唯一の橋だった。

ベルンは1191年にツェーリンゲン家ベルトルト5世大公が建てた街。
↑彼の銅像とクマ
↑狩りの最初の獲物の名前を街につけると決めた↑それでベルン(=クマ)↓

街の発祥地には1513年から「クマ公園」がある


ニーデック橋を、わたったところにある
ニーデック教会の下には、
ベルトルト公が建設したニーデック城の礎石がのこされている↓

12世紀からつくりはじめられた旧市街は

今も16世紀ごろの姿を伝え

世界遺産に指定されている。
道路の真ん中にある水場は「美しき障害物」と呼ばれているのだそうだ。


↑ライオンの口を引き裂くサムソンは旧約聖書の登場人物

↑こちら「食人鬼の噴水」は、子供たちに危険な沼?があったので怖がるように設置されたのだとか。
ベルン旧市街にはこういった歴史的な噴水が十一ある。

**
2012年の10月にベルン旧市街に三連泊した。
その《手造の旅》「黄金色スイス」を企画するにあたり
ベルンをたくさん学ばせてもらったことが、今日の自分の大きな財産になっている。
※その時のブログをごらんください
あの時修復中だった大聖堂の塔が↓

今日は青空に映えている。1893年に完成したスイスで一番高い教会の塔100.50m。

正面のエアハルト・キュングが16世紀はじめに製作した「最後の審判」彫刻群が見もの。
だが、実は本物(の一部)は、ベルン歴史博物館に収蔵されている。
※2012年に訪れた時の比較写真をこちらに載せています


「アインシュタイン・ハウス」は人気の入場場所↑
チューリヒ連邦工科大を卒業し、
まだナニモノでもなかった二十代後半の彼はベルンの特許局で働き、
ここに暮らしていた。

以前入場したことがあるが、
待って混雑した小さな家に入る必要はないと判断。

↑すぐちかくにある仕掛け時計がもうすぐ動くタイミングだったし↓

1530年のゼンマイ仕掛けは今もそのまま使われ、巻き続けられている。

ここは1250年までベルン市の城門で、
人々が出入りする門の近くには市がたち、
↑商人たちが使っていた長さの基準尺がはめこまれていたのが再現されている↑
1405年に火災に遭い1530年に時計塔として復活した。
***
公共バスに乗って「バラ公園」へ

ここから見晴らすベルン旧市街の眺めも一見に値する。

一般的なツアーのベルン観光は、この「バラ公園」と「クマ公園」と「仕掛け時計」の三か所を二時間程度でめぐる。

****
公共バスで再び旧市街にもどり、スイス連邦議事堂前の広場へ。

建物のファサードは修復中

↑二十六本の噴水は、スイス26カントン(州)をあらわしている。

↑内閣は七人の閣僚と一人の大統領で構成されている。
閣僚が少ないのは、多くのことが州レベルに任されているから。

↑「牢獄塔」を抜けて、
17時にシュバイツァーホテルに帰着。
*****
夕食はご希望の方だけ「コルンケラー」にお連れした。

かつてベルン市の穀物倉庫だった場所で↑何気ない入口なのだが

地下へ降りていくと

天井の高いタイムスリップしたような空間がひろがっている。

「ベルン・プレート」は内陸らしい肉とジャガイモ。
これがどんどん食べられてしまうのです。

午後八時過ぎに地上へ出てもまだ明るい。
屋外のカフェでくつろぐ人々。

ヨーロッパの夏の夕暮れを楽しむことができた。



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