旅倶楽部「こま通信」日記

これまで3500日以上世界を旅してきた小松が、より実り多い旅の実現と豊かな日常の為に主催する旅行クラブです。

ニース海岸散歩~ネグレスコホテルの前より

2023-02-12 09:26:48 | フランス
ニースの海岸にピンクのドームが映える

前日夕方、ニースへ向かう道。カンヌのある湾が見えてきた。

正面は「鉄仮面」が幽閉されたマルグリット島だろうか。

二月のフランス内陸部は凍りつく寒さだが、
地中海岸にでてくると気温はいっきに10度を超えていた。

ニースのある「アルプ=マリティム県」はその名の通り雪山と海の両方がある。

カーニバルがはじまるので道路規制。
中心部のホテルにチェックインして、食堂街へ夕食へ。

良い感じのお店でした(^^)

ネグレスコホテルの夜景を横目に見ながらホテルに戻る。

朝7時。最上階8階の朝食会場の扉が開くと朝焼け。

パンが温かくてうれしい。

やがて朝日が屋上を照らしはじめる。

海の方を見ると↑ネグレスコホテルのピンクのドームが突き出してた。
**
9時にガイドさんと歩きはじめる。

海岸に出るとマセナ美術館↑
ナポレオン配下のマセナ将軍の一族の屋敷だった建物。

すぐ近くにネグレスコホテル。
ニースのシンボルになっているこの建物は、ルーマニアからやってきたアンリ・ネグレスコ(本名Alexandru Negrescu)によって1912年に開業。

折り悪く二年後に第一次世界大戦がはじまり、世界経済が失速すると経営破綻。
終戦時には病院として使われていた。
戦後ベルギーの会社に売却され、ネグレスコ自身は二年後にパリで死去(52歳)。
1957年に有名な女性オーナーとなるジャンヌ・オジェの父であるメナム氏が買った。足の悪い妻のために車いすが使えるホテルを探していて、即決だったのだそうだ。
ジャンヌは2019年に亡くなるまでこのホテルに住んでいた。

入り口わきに置かれたニキ・ド・サンファルのマイルス像↑
このホテルはダリからエルトン・ジョンまで数多芸能人に好まれてきた。
2003年には「フランスの歴史的建造物」に認定されている。


ル・ネグレスコの前の海岸線を7キロにわたってのびているのが「プロムナード・ザングレ(イギリス人の散歩道)
19世紀後半に富裕なイギリス人たちが滞在していたことでこの海岸線の道がつくられた。

ゆったり広い歩道。
暖かい陽射し。
読書する人、走る人、犬を散歩する人。

砂浜を金属探知機で探る人↑
清掃活動ではなく、お宝探しなのだそうです。

カーニバルの看板。今年は150周年。

2013年に訪れた時にはこの海岸線の道が巨大な会場だったのだが、今はマセナ広場エリアに移動している。
この記念碑は2016年に起きた暴走車によるテロの鎮魂碑。

↑巨大な彫刻が印象的なファサードは「パレ・メディテラネ(地中海宮殿)」1940年ごろの建物?
長く廃墟になっていたがファサードを残して改築され1980年代に巨大ホテルとなっている。



↑1860年にニースがフランス領になったことを記念した碑↑住民投票は2500対260の大差だった。
この時期のイタリアはまだイタリアとして統一されておらず、経済的にも政治的にも混乱していた。

↑マセナ広場のカーニバル会場がちらりと見えてニースの旧市街に入っていく。

↑ボーリバージュホテルはロシア人作家のチェーホフや
若き日のマティスも滞在した
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