パレルモの南8キロ、カプト山の中腹・標高三百メートルほどに位置するモンレアーレ大聖堂。
シチリアを訪れるツアーなら必ず入っている場所だが、見学する時間がいつも足りなかった。
2014年9月、ついにこの「うらみ」を晴らす機会がやってきた。
アプスの外側構造が美しい
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大聖堂横の入口から入場
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いつものすばらしい黄金に輝く12世紀のモザイクが迎えてくれる
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これらモザイクの話はどこにでも載せられているので、ここでは別の角度から紹介しよう。
一枚だけ、今回ガイドさんに指摘されて「なるほどすごい」と思った部分↓
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ノアの方舟が嵐の後の海に浮かんでいるシーン。
水の中に揺らめく人間の身体を、身体そのものを描くことなく波線の太さと色とで表現しているのである。
この大聖堂を建設したグリエルモ二世(通称「善王」)の墓(奥)と、その父グリエルモ一世(通称「悪王」)の赤大理石の棺。
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何故息子のものだけがルネサンススタイルになっているのか?
以前から不思議だったが、これはルネサンス時代のトーレ家の司教が改葬させたものだそうだ。
グリエルモの名前は一番上の左に刻まれていて目立つが、それと共に下から二行目からルドビコ・トーレ大司教の名前も刻まれているのがわかる。
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この時、大聖堂の床の半分が新しいものにされ、ここにもトーレ家の紋章が刻まれたのだった
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この大聖堂を献上したグリエルモ王がキリストから直接戴冠されているモザイク
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こちらはよく知られているが、その逆サイドには同じくグリエルモ二世王が聖母マリアに大聖堂を献上する姿が描かれている。
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よく見ると、同じ人物なのに年齢が描き分けられているのがおもしろい。
戴冠式を行った当時は13歳で確かに若い。大聖堂を献上した大人の姿は大人でひげが濃い。
正面祭壇に向かって左側後陣は別料金が必要になるのだが、二枚目のモザイクはここへ入ればよく見える。
この有料エリアはぐっと人が少なくなるので、床のコズマティ様式もよく見える。
中にこんなおもしろい動物がえがかれていた
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どうやらこれはウサギで、ノルマン王家の元で働かせてもらっていたアラブ人職人が、感謝をあらわすために彼ら自身をライオンに尽くすウサギにたとえて描きこんだのだと言われている。
★フランスの聖王ルイ9世の棺もある
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彼は二度目の第八回十字軍遠征の途上北アフリカのチュニスで死亡し、遺体は当時弟のアンジュー家シャルルが治めていたこのモンレアーレに持ってこられた。この棺には心臓のみが残され、他のがフランスへ送られたと、ガイドさんのご説明。
調べてみると、その後もルイ9世の遺体はボローニャやリオンを経由して旅をつづけ、パリの北にあるサン・ドニ大聖堂に葬られていた。
しかし…フランス革命で立派な棺は壊し溶かされ、王の遺体も消えてしまったそうな。
現在はただ一本の指だけがサン・ドニ大聖堂に安置されているとか。
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ノルマン:ビザンチン様式でいっぱいのように見えるこの大聖堂だが、右奥の聖具室に通じる礼拝堂いったいには壮麗なマルモレスキと呼ばれる色大理石装飾で飾られている。
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礼拝堂中央のアブラハムからはじまるキリストの家系図、背景の青はラピスラズリ。
まったく時代の違うこの様式は、先述のグリエルモ二世の棺よりもさらに後の17世紀に為された
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色石で風景を描写
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フィレンツェあたりにいまも工房がある
この礼拝堂を主導したのはスペインの名門サラマンカ大学とヴァジャドリドで学んだジョヴァンニ・ロアーノという人物
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彼自身がこの装飾の只中に登場している。
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床にもこの時代らしいおもしろい絵が大理石で描かれている
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旧約聖書の有名な逸話「クジラにのみこまれるヨナ」。クジラってこんな顔?
回廊
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一角には前出のグリエルモ二世とイギリスから来た妃ジョヴァンナ(英語名ジョーン)とが刻まれ、間にキリストをあらわす羊ちゃんが出現。
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大聖堂外側の一角には中世にこの大聖堂をつくりあげた職人たちが住んだ一角が残されている。
この路地は「チャンブラ」と呼ばれるが、これはフランス語で部屋を意味する「シャンブル」英語の「チャンバー」からきているそうな
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路地が入り組み時に家の下を抜けていく
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