

多くのモアイはこの山から切り出されている↓イースター島という火山島にある巨大なカルデラのひとつが遠景に見えるラノ・ララク※アフ・トンガリキからみたところ

↓下は逆にラノ・ララクからアフ・トンガリキを見下ろしたところ↓

入口からいくつものトレイルに分かれている↓

完成して「アフ(祭壇)」の上に立てられたモアイには近づくことができないが、ここにあるものは制作途中なのですぐそばまで行けるのだ。
到着した時には雨がひどくてバスの中で説明をしたほどだったが、歩き出して雨が止んだ。
にょきにょきと地面から顔をだしているモアイの間を歩く↓

けっして写実的でもないのだが、なぜかリアル↓

もともとは埋葬者を記憶するために似せてつくられたというから、それぞれ個性があるのも当然か

↓この首をかしげたようなものは、モデルである当時の王にそんな特徴があっただという説がある↓

↓これらのモアイは土中に地上の二倍ほどの身体を埋もれさせている↓

斜面から流れ落ちてきた土砂が埋めていったのだ
1940年代に「コンチキ(コンティキ)号」で有名なノルウェーのハイエルダールが発掘した写真が残っている↓

今、見えているそれぞれの下がまだこんなにあるのか…
この「正座するモアイ」も埋まっていたのだが、掘り進めていくうちに正座した足がでてきてみんなびっくりしたそうな↓


タヒチの博物館庭にとても似た像があった(後日載せます)
切り出されている途中のモアイ↓

モアイはまず身体の前部分をきれいに彫ってから山の斜面をつかってすべらせ、あらかじめ掘っておいた土の穴に立たせていたと推察されている
そして、最後に背中部分の装飾を刻んでいく↓こちらの背中になにも彫られていないのは未完成ということ↓

もしかすると、ここはモアイのショーケースのような場所だったのかも・・・

今歩いているあたりだけでなく、山の向こう側・カルデラ湖があるそうだがその周辺にも、おびただしい数のつくりかけモアイが残されているのだそうだ。今日はとても時間がないが、いつか見てみたい(いつ?)。
モアイを一体つくるのにどれぐらいの時間がかかったのか?
様々な試算があってはっきりしないのだが、最低でも三年ほどはかかったと推察されている。
とすれば、モアイの注文主は自らの墓に立たせるべきモアイを一からオーダーするだけではなかったのではないだろうか。
つまり、あるていどラフに製作したモアイをたくさん立たせてあるこのラノ・ララクにやってきて、ショーケースを見るように自分の好みのものを選ぶ。そして、細部を彫らせていったのではないだろうか。
未完成のモアイがこれほどまでにたくさん立っているのはこれで説明がつく、かも。
だいぶ晴れて太陽が景色に色をつけてくれる。

同じ場所でも、特に写真に撮るとぜんぜん違って見える


★西欧船?が刻まれたモアイ(右)↓が見たくて、道を戻った↓

この船もハイエルダールが彫ってみてはじめて見つかった↓ノルウェーはオスロのコンティキ号博物館にあるレプリカを見るとそれがよくわかる↓

※このモアイに関してはこちらにもっと書きました
一時間半ほど滞在したが、ここは見たいものが尽きない
入口へもどって1ドルトイレにいかなきゃ

