旅倶楽部「こま通信」日記

これまで3500日以上世界を旅してきた小松が、より実り多い旅の実現と豊かな日常の為に主催する旅行クラブです。

ザルツブルグ音楽祭2004オープニングで

2022-07-17 14:45:41 | オーストリア
小澤 征爾の指揮をはじめて見た2004年7月25日
この年はドボルザーク没後百年だったので、オープニング曲は9番「新世界より」。

↑当日のプログラムに演目が書かれている↑
いっしょに演奏される二作品は全然知らなかった。

↑ホールの入口は着飾った欧米人でいっぱい
7月のザルツブルグは午後八時半でもまだ明るい↑

↑ザルツブルグ城が近くに見える↑

このツアーは現地のガイドさんが小松に「良い席をとってあげられるからお客さん連れておいでなさい(^.^)」とずっと言ってくださっていたから企画した↑ほんとに正面のちょうどよい距離の席だった。

一曲目、いきなり「新世界より」。
超有名曲は最後なのかと思っていたので意外だった。
耳慣れたメロディーが豊かな音でホールを満たす。
ロビーのカラヤン像

休憩の後の二曲はまったく知らないので楽しめるか心配した。
プログラムをひらくと、二十世紀初頭にニューヨークに住んだチャールズ・アイヴスという作曲家(左)↓英語の解説ページには「日曜作曲家」と紹介されていた↓

つまり、アイヴスは音楽で食べていけなかったということだ。
「夜のセントラルパーク」という曲
不気味な静けさから徐々に影が歩き出すような旋律が大きくなっていく。
主旋律を待ったがいつまでたっても口ずさめるようなメロディはでてこない。
それどころか不協和音がどんどん積み重なっていき、
激しさを増し、まるでフリージャズを聴いているよう。
クラシックが保守的な音楽だなんてことはない。

アイヴスはこの曲を作曲した1906年ごろに保険会社を設立して経済的に成功している。
語録にこんなことばがあると後日知った↓※ウィキペディアより
(If he has a nice wife and some nice children, how can he let the children starve on his disonances?) ⇒素敵な妻や子供があるのなら、夫の不協和音のために飢えさせるなんてありえなだろう?

オーケストラは「新世界より」を演奏していた時とはぜんぜん違う緊張感がある。
指揮も別格の没入ぶり。
「あぁ、小澤征爾はこっちの曲を聴かせたかったのか」と思った。

ドボルザークの「新世界より」のわずか十数年後に、
アメリカではここまで先進的な音楽が造り出されていたのである。
いわばアメリカという土地でなければ生み出せなかった新しい音楽。

もう一曲のエーリッヒ・ウォルフガング・コルンゴールドも当時のオーストリア帝国の出身だが、ナチス支配の時代に亡命し、その才能をブロードウェイ・ミュージカルなどエンタテイメントの世界で発揮した。それ故に戦後ヨーロッパのクラシック界からはじき出され、アメリカで死去している。

21時開演で夜中近くになったが、眠気など感じない。
ウィーンフィルの演奏力、それをじゅうぶんに使って表現する小澤征爾。
オーケストラを指揮する意味を深く理解させてもらった気がした。

ホールを出て、ライトアップした城を見ながらホテルまで歩いて帰った。

生涯忘れないだろうザルツブルグの夜である。








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