JL045便にて10:50に羽田を出発。パリを経由してトゥールーズに到着したのは19:30だった。空港ターミナルにはいってすぐなんだかきれいな空間だ。
※南西フランスのトゥールーズは、パッケージツアーのいわゆる「南仏モノ」ではあまりコースにはいってこない。小松も2007年以来の来訪になる。しかし、その2007年の印象が良かったことが、今回の《手造の旅》カルカソンヌからバルセロナへを企画する材料のひとつになったのだった。
旧市街の外壁だった通りに近いプルマンホテルに到着。ここのロビーもしゃれてる客室の廊下もこんな
お迎えいただいた在住日本人ガイドさんによれば、今日は中心部のキャピトル広場で政治がらみのデモがあって、まだおちつかない様子なのだとか。確かに道路にモノが散乱していたりする。デモへの参加を阻止しようと地下鉄も止められたので道もずいぶん混んでいたようだ。このあたりのホテルでよかった。
テレビをつけると、ベルリンの壁の番組をやっていた。そうか、明日はベルリンの壁が意味をなくした運命の東ドイツの記者会見の日からちょうど25年目にあたるのだおもいかえせば1989年は個人的にも感慨深い年だった。小松がいわゆる「東側」を訪れたただ唯一の機会は、この年の10月、つまり、ベルリンの壁崩壊の一か月前の事。東ベルリンを経由してブルガリアの地方都市ブラゴエブラドへ向かったのであった。
個人的な記憶が、大きな歴史とリンクしているのはなんだかおもしろい。
余談でした。
※南西フランスのトゥールーズは、パッケージツアーのいわゆる「南仏モノ」ではあまりコースにはいってこない。小松も2007年以来の来訪になる。しかし、その2007年の印象が良かったことが、今回の《手造の旅》カルカソンヌからバルセロナへを企画する材料のひとつになったのだった。
旧市街の外壁だった通りに近いプルマンホテルに到着。ここのロビーもしゃれてる客室の廊下もこんな
お迎えいただいた在住日本人ガイドさんによれば、今日は中心部のキャピトル広場で政治がらみのデモがあって、まだおちつかない様子なのだとか。確かに道路にモノが散乱していたりする。デモへの参加を阻止しようと地下鉄も止められたので道もずいぶん混んでいたようだ。このあたりのホテルでよかった。
テレビをつけると、ベルリンの壁の番組をやっていた。そうか、明日はベルリンの壁が意味をなくした運命の東ドイツの記者会見の日からちょうど25年目にあたるのだおもいかえせば1989年は個人的にも感慨深い年だった。小松がいわゆる「東側」を訪れたただ唯一の機会は、この年の10月、つまり、ベルリンの壁崩壊の一か月前の事。東ベルリンを経由してブルガリアの地方都市ブラゴエブラドへ向かったのであった。
個人的な記憶が、大きな歴史とリンクしているのはなんだかおもしろい。
余談でした。