これまでの二つと違い、1693年の地震の後にノートは倒壊した町を完全に放棄した。現在見られるノートの町は、十キロほど離れた場所に一から建設されたのである。
入口にある「王の門」からまっすぐ伸びるのがメインストリートこの門は両シチリア王(ナポリとシチリアの両王国の王という意味)フェルディナンド三世がやってきたのを記念して建設されたそうだ。彼はナポレオン戦争の時代に二度もナポリを追われている。やってきたのは1799年の時か1806年の時か?はたまたその後ナポレオン戦争が終わってからだったのか?
この門から道は大聖堂へ向けてゆっくり上りになってゆく。理由は「王の門」を造ったとき(つまり18世紀末から19世紀はじめ)に、街を拡張する目的でメインストリートの地面を掘り下げたから。 結果、通りに面した教会の入口が歩く人の頭より上に残されてしまっているのがおもしろい通り全体から同じ場所を見るとこんな風→
この教会の斜め前に位置するフランチェスコ教会も、大階段の下三分の一はこの拡張時の掘り下げに伴い付け加えられた部分→
さらに五十メートルほど行くと右手に大聖堂→
その正面には市庁舎→
ここまでくればメインストリートは平たんになった。もともと建設された当時の高さに至ったのである。
メインストリートを境に、上の方には貴族や宗教界の上位者が住んだ。なるほど、住宅の一区画が下の町よりもずっと大きい。
ニコラッチ宮殿にはつい最近まで御当主がお住まいになっていたのだそうだ。次の写真、バロックのおもしろい張り出し窓が並んだ建物がそれこの通りは彼ら一族の名前をとってニコラッチ通り
この通り、次の写真のように一年に一度花を敷き詰める祭り「インフィオラータ」(五月の第三日曜)が行われている→
昼間だと花が萎れてしまうので夜の間に花を並べるのだとか。下書きの跡が残されていた→
**ニコラッチ通りの上突き当りにあるモンテヴァルジニ教会に入ると、すぐ左におもしろい螺旋階段があった→番をしている女性に二ユーロ払って上ると・・・ずいぶん荒れている。こりゃあつい最近まで閉まっていたな
上に行くつれて細くなり・・・最後はここから塔の上に出た
整然と区画されたノートの町の様子が俯瞰できる。登れるところは上っておくべし、ですね(^^)
前出の祭りで花を敷き詰める通りを上から見下ろすと、あれはダリ?
再び狭い階段を下りる途中、かつて修道士が礼拝に参加した場所を通る。そこから見下ろす教会本堂。降りてから中に入ってみると、今も活動している騎士団の旗がいくつも掲げられていたいちばん正面右には、この町の守護聖人サン・コッラードの騎士団の緑色。北イタリア生まれのこの聖人は、地震で倒壊する前の古いノートの町で1351に亡くなり大聖堂に葬られていたが、現在は新しいノートの町に改葬されている。
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シラクーサに戻り、夕食はオルティージャ島から湾をはさんだ本土側にある海鮮レストランへご案内いただいた。まずは水槽からこのロブスターを
ここで養殖されているという牡蠣は予想外の(失礼)立派なもの シラスを揚げてレモンをしぼって
ファゾラーレと呼ばれるこぶりなハマグリのような貝
そして、先ほどのロブスターをつかったパスタと、ウニのパスタも
新鮮な食材をおいしくいただきました。