旅倶楽部「こま通信」日記

これまで3500日以上世界を旅してきた小松が、より実り多い旅の実現と豊かな日常の為に主催する旅行クラブです。

ソルトレイクシティの大陸横断駅へ

2014-06-14 05:00:53 | アメリカ西部
アイダホ溶岩温泉の朝六時半、そろそろお米が炊けたウォールマートで30ドルほどの炊飯器でもけっこう美味く炊けている、淡路島のお米だからかしらん。塩むすびだけど朝食に持っていきましょ
小さなホテルのサロンには去年にはいなかった巨大なオウムが居たなんでも新しいオーナーさんが飼っているのだとか。ひとなつこくて誰の肩にものってくる。

朝九時、出発。荷物をもって外へ出ると、暑かったきのうとはうってかわって雨になっていた。プールに雨粒の波紋
こういう雨の日に入る温泉も良いのだけれど、これからユタ州のソルトレイクシティへ向かう

州境を超え、グレート・ソルトレイクの手前で休憩したガソリンスタンドに、GOLDEN SPIKEという看板が掲げてあった。これはアメリカ史に忘れてはならない出来事を記念する場所の事
19世紀後半、アメリカ大陸の東西をつなぐ鉄道は、西と東からのびてきていた。最大の難所はロッキー山脈。ここを越えて、はじめて鉄道がつながった場所・プロモントリーがここから近いのである。今でも地図にしっかり書かれている。


1869年5月10日、セントラル・パシフィック鉄道とユニオン・パシフィック鉄道の線路を結ぶ最後の枕木に「黄金の犬釘」が打ち込まれた。それをGOLDEN SPIKEと呼ぶのである。下は現在も残るソルトレイクシティのユニオン・パシフィック鉄道の当時の駅舎に描かれたその時の様子。

「黄金の犬釘」を打ち込んでいるのはカリフォルニアの実業家リーランド・スタンフォード。現在ではスタンフォード大学の創立者といったほうが分かりやすいだろうか。

※ここまでは大陸横断鉄道の歴史を検索すれば、どこにでも載せられている話。
ユタ州の詳しい地図を見ている時に、湖の上に鉄道の線が引かれているものを見つけた。それについて、アンテロープアイランドのインフォメーションセンターの人にきいた話をこちらに書きました。


きのうの朝まで居たグランドティトン国立公園は標高が2400mほどもあったが、ソルトレイクシティはその半分の1200mほど。ぐんぐん降りてゆき、気温もぐっとあがる。これから訪れる、街の北に位置する琵琶湖の七倍にもなるグレート・ソルトレイクは町よりもさらに低い。

せっかくソルトレイクシティを訪れても、ほとんどのツアーでは湖の姿さえちゃんと見ることが出来ない。観光客としては、やはり琵琶湖の七倍の塩水湖を体感したい。そう思って、湖にうかぶアンテロープアイランドを見学ルートを入れるようにした。

グレート・ソルトレイクの中にあるアンテロープアイランドへ渡る頃には青空になっていた

※昨年アンテロープアイランドを訪れた時の日記をこちらからご覧ください。

少し高台のインフォメーションセンター前からつばめが巣をつくっていた。この島はバードウォッチングにも適している

バッファロー・ポイントからはバッファローが見えた

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午後、まだホテルにチェックインするには早い時間にソルトレイクシティに到着。この街を建設したモルモン教徒の総本山=ザ・テンプルに行く事にした。この建物、なるほど「テンプル」ですここは宗教施設であっても閉鎖的な空間ではない。誰でも入って良いし、きれいに整備されたくつろげる空間になっている。

東部から苦難の末にここソルトレイクシティに定住した移民たちの話をわかりやすく解説してくれている実際、各国語で案内してくれるボランティアがたくさん声をかけてくれます。
着飾った人がたくさんいるなぁ、と思ったら、「今日は三十六組も結婚式をするんだよ。彼らの家族もたくさんきている。」との事でした

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三時過ぎに中心部のハイアットホテルにチェックイン。

このホテルから道をわたって南隣は、19世紀の大陸横断鉄道ユニオン・パシフィック鉄道の駅がある。
今日は週末でイベントをやっているようだし、これは行ってみよう。
表通りを車で通っていると全然その存在が分からない、旧駅舎の裏側にゆったりした再開発の広場がすがたをあらわした。
このあたりTHE GATEと呼ばれる歩いて楽しいモール屋外モールになっているプロムナード沿いずっと、路上アートを描く人々がいっぱいだ。

そのまま2ブロックほど楽しく歩いて、今度は別の大陸横断鉄道時代のリオ・グランデ駅を訪れてみようと道をわたった。この写真で通り向こうに見える赤い屋根の建物がそれ。
道をわたってみると・・・びっくり、世界が一変していた。※この話こちらにもう少し書きました。

デンバー&リオ・グランデ・ウェスタン鉄道は、ユタ州ソルトレイクシティとコロラド州デンバーをつなぐ部分を1883年に開通させた。さらに1910年にはカリフォルニア州オークランドとも線路がつながり、この建物はそのタイミングで建設されたものである。



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ハイアットホテルまで北へ3ブロック。途中で再びユニオン・パシフィック鉄道の駅舎に入って、出る時にふと見つけたプレートがこれ。そうかぁ、我らの先人もこの建物を訪れていたのだ。

これについても別のところに書きます。
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