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旅倶楽部「こま通信」日記

これまで3500日以上世界を旅してきた小松が、より実り多い旅の実現と豊かな日常の為に主催する旅行クラブです。

ソカロ広場を見下ろす場所でランチのあと、メトロポリタン大聖堂へ

2018-11-25 15:15:15 | メキシコ
午後二時をとっくにまわり、メキシコ時間でランチを。
ソカロ広場のメトロポリタン大聖堂をみおろすテラスは知っていなければなかなか入ってこない場所だろう。

ここは百年以上前に建てられたマジェスティックホテルのテラス。

喧噪の大通りから小さなホテルの入口を入る↓左の旗の出ているところ

ロビーに入ってきた時、キューバのホテルを思い出した↓

そうだ、キューバの老舗ホテルの多くは革命前に建築されたもの。このマジェスティックホテルと同時期に創業していた。
蛇腹扉のこぶりなエレベーターにのって七階へ上がると↓

シックなテラスレストラン↓

休日のお昼、豊富なバッフェは。地元の家族連れがたくさん訪れていた。

とりすぎないようにしなくちゃ。



**
ランチを終えてソカロ広場へ出る。午後の光がメトロポリタン大聖堂の正面を照らす↓

アステカの首都テノチティトランだった時代のこの場所には神殿があったとされる。

アステカの神殿を壊して1521年に建設された最初の教会の跡↓

現在の聖堂は1562年に建設がスタートし三百年以上かけて現在の姿になった。
1614年に支倉常長がやってきた時にはどんな姿だったのだろう…

内部、巨大な空間↓スペイン式に中央に閉ざされた聖歌台があり、その周囲を礼拝堂が囲むスタイル。

↑六十年ほど前に火事に遭って半分焼けたて塗りなおされた金。手前のくすんだ金色の方がオリジナル。
1718年からつくりはじめられた主祭壇↓

プラテレスコというかチュリゲラというか…これでもかのバロック装飾

●聖具室のを飾る絵画は別料金↓

1684年から1691年にかけてクリストバル・デ・ヴィラパンド(1649-1714)とファン・コレア(1646-1716)という二人の画家によって描かれたバロック絵画空間↓

主祭壇が現在のモノになる以前に、スペイン本国へ行ったこともなかった二人がここまで描いていたのか。
「ヴィラパンドは自画像を聖職者たちの中に描いている」と解説文にあったが、下の列の中の誰かはわからない↓

↑自画像はよく「こちらを見ている人物」なのだが、この絵ではみんなこちらを見ております。


★フィリポ・デ・ヘススの礼拝堂は日本に関連がある。彼は1597年に長崎で殉教した二十六聖人の一人。メキシコではじめて列聖された人。
↓正面祭壇に処刑される姿↓

彼が洗礼を受けたのはこの礼拝堂のすぐ横の洗礼堂とされている。
祭壇の絵画には処刑前の支度をする「ちょんまげ姿の侍」が描かれているとガイドさん↓
↓暗い祭壇をカメラで撮影して処理すると…おお、その姿が見えました↓


なぜか、同じこの礼拝堂にメキシコ初代皇帝アウグスティン一世も葬られている↓


彼はもともと独立派反乱軍を鎮圧する軍の司令官だった人物。
反乱軍に寝返りスペインからの独立を成し遂げた直後に自らメキシコ皇帝に即位した。
が、一年も経たずに失脚し、亡命の後帰国しようとしたところを捕まり銃殺。
評価は微妙なのだが、メキシコ独立史のなかでひとつの場面の主役だった人物にはちがいない。

○この聖堂の彫刻群はよく見るとなかなか興味深い↓

ぱっと見ヨーロッパの彫刻に見えるが、よくみるとアステカの彫刻っぽい人物表現になっているのだ↓

こういった特筆されることのない造形はヨーロッパの彫刻を見たことがない職人によってつくられていったのだろう。
かれらの身近にあったお手本はアステカの彫刻にちがいない。




広場に出てみよう



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