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旅倶楽部「こま通信」日記

これまで3500日以上世界を旅してきた小松が、より実り多い旅の実現と豊かな日常の為に主催する旅行クラブです。

大江町の青苧(あおそ)復活夢見隊

2023-04-24 13:44:33 | 国内
大江町で「青苧御膳」をいただいた↑
いちばん上は「よもぎ餅」、右上はずんだ豆のはんぺんと「湯上り娘」というブランド枝豆をペーストにしたものを海苔で巻いてある。真ん中は種類の違う「こごみ」、右下は葉ワサビ↑
←左は青苧麺(^^)。
青苧ばかりでなく山菜をはじめとする山形の野菜を楽しむ料理。
丁寧に調理された家庭料理。
10人以上で予約するとつくってくださる※こちら「青苧復活夢見隊」に紹介があります
そもそも「青苧(あおそ)」って何?

↑こんなに背の高い草!
↑一時は地域から消滅していたのを2008年に発足した「青苧復活夢見隊」が、まさに復活させた。
種はいろいろなところからかき集めたのだそうだ。

↑もともと青苧は食用ではない。
「イラクサ科の多年草」で、繊維をとるために栽培されてきた。
※「青苧復活夢見隊」のHPに分かりやすい解説があります
今日いただいた「青苧御膳」は、隊をたちあげた村上弘子さんが
「これ、食べられるんじゃないかな?」と思ったのがきっかけで考案された。
←左が村上弘子さん
市役所の職員として、二十年前たまたま大江町歴史民俗資料館に配属された時には青苧へのこだわりなどまったくなかったのだそうだ。

寒冷で綿花の育たない東北において、青苧は衣類の原材料になってきた。丈夫で・特に夏にさらっと風合いのよい布の原材料になるとわかると、だんだんと高級な衣類に使う繊維とされるようになった。江戸だけでなく京都・大阪で大きな需要があり、この地域の主要輸出品になっていった。

最上川をつかって日本海岸から輸送され、北前船で・敦賀港から琵琶湖を経由して運ばれた。
※琵琶湖の水運を解説した「丸子船の館」で、琵琶湖の北端にある塩津港から運ばれた物資のランキングで五位に入っている「苧(からむし)」がそれ↓「紅花」より上の堂々五位。

※他にどんなものが琵琶湖を運ばれていったのか、こちらのブログに書きました

大江町の歴史民俗資料館は、三百年前青苧を商って財をなした斎藤半助の家を移築した。

天井の高い空間。

端午の節句が近いので模様替えしたそうだ。

かつて旧家を飾っていた雛飾りや鯉のぼりがたくさん集まっている。
冒頭の御膳に使われていた朱塗りの器もそういった品々のひとつ。
大江町歴史民俗資料館は、村上さんたちの尽力によって地域の品々を活用できる場になっている。
逆に、村上さんたちの活動は大江町歴史民俗資料館があることで大きくひろがった。

↑左は昔の裃、右は復活した青苧をつかってつくられた着物。
↑真ん中に下がっている藁束みたいなのが原材料となった青苧の繊維↑

↑青苧の繊維を、山形のもう一つの名品だった紅花で染めた糸↑

↑青苧で紙までつくって↑地元の学校の卒業証書につかわれている↑

明治になると国を挙げて養蚕が奨励され、青苧産業は急速に廃れてしまった。この家に住んだ斎藤半助も養蚕業者に転換した。社会では隆盛したモノしか注目されないが、その後ろでひっそり消えていった品々が日本中にある。
ここではその記憶を、手に取れるカタチにし・仕事にまでして復活しておられる(^^)

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