旅倶楽部「こま通信」日記

これまで3500日以上世界を旅してきた小松が、より実り多い旅の実現と豊かな日常の為に主催する旅行クラブです。

《手造の旅》屋久島~一湊里めぐり

2021-12-10 12:28:39 | 国内
屋久島最北端の一湊(いっそう)集落の方々が手作りのお昼ごはんと踊りで歓迎してくださった↓公民館の幕は世界で一つしかない逸品↓

一湊はトビウオ漁と鯖漁で栄えた集落、かつて活躍した漁船の大漁旗をパッチワークした寺田さん↑すばらしいアイデアです(^^) 鯖漁の音頭を、急遽みなさんで踊ってくださった↓
※動画をこちらに載せました

心づくしのお昼ごはんが心に染みます↑左下の紙の下に「青ホタ=アオダイ」のお刺身があった!どけてから写真を撮ればよかった…

↑左上の「永田集落でつくっている豆腐」をつけるのは鯖を煎じたつけ汁、写真で見ると醤油と同じになってしまうけれど、鯖の香りが醤油とはちがう←これは七月下見の時に寺田さん宅で出していただいた「鯖煎じ汁」。商品で売り出してもいるけれど、ひと手間くわえた手作りをするところが地元のこだわり(^^)
七月下見で畑に案内していただき・食べたパッションフルーツは「これ、旅の本番でも食べたいですね」とリクエストしたけれど、さすがに十二月はシーズンではないので(お盆の右中に黄色く見える)ゼリーとして登場(^^)十二月に収穫されはじめるポンカンも入っております。
鯖が自慢なのは認識していたが、今回あおさの味噌汁にシイタケとソーメンというのが新鮮だった。
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この日の朝↓


鹿児島空港発08:45の屋久島行きは「条件付きフライト」だった

雲が切れて、屋久島最北端一湊集落にある小山二つが印象的な矢筈半島が見えた↑
※今年七月に半島を歩いたブログにリンクします

高度が低くなり↑海老の養殖場のいけすがはっきり見える。

無事に到着!よかった~(^^)

ターンしないテーブル越しに預けた荷物を受け取る。
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まずは、観光文化センターで島の概要を知る↑

↑屋久島関連のゆるキャラってこんなにあるんだ↑
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二十分ほどで冒頭の大漁旗パッチワークの幕がある一湊の公民館到着。

「本業は魚屋です」と左の中島さんと、右・斉藤さん

手作りマップ↑

一湊集落のメインストリートになっている道「ガジュマル通り」は、かつて小川がながれていた↑
なるほど↑その当時の雰囲気が感じられる
アメリカ軍の空襲で火事になった時にはこの小川が類焼を止めた。
埋めたてられたのは昭和四十三年(1968) 

↑通りの小さな町恵比寿はその後にここに移転し、中を覗くと昭和五十三年から屋久杉の恵比寿様が↓

↑鎮座している。そのすぐ右手にある小さな石塔は↓

埋め立ての時に見つかった「水神様」↑

この場所は村祭りの中心↑竹のアーチは何?

↑十五夜綱引きの綱をこのアーチも使って村人総出でつくるのだそうだ。
※屋久島では9月15日の夜にそれぞれの集落で大綱引きが行われる

↑上の写真でマイクに向かって歌っているのは、本日ガイドをしてくれている中島さんだった。歌が上手いのをあとから知りました(^^)
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「なっちゃん食堂」の前を通りかかると…

にぎやかすぎたのか、なっちゃん?登場

島のガイドをお願いした長井三郎さんと久闊をあたためていただけてよかった(^^)


こういうお店にはえてしておいしいお宝が売られて…

おりました! もちもちで「ういろう」みたいだけれどもっと粘りが強い。
紫イモのお菓子は小松が2016年12月にはじめて訪れた時に好きになった※その時のブログに写真を載せています
他の色のは、小豆、米、よもぎ(秀逸でした)

↑下右に写っている「たんかんボーロ」、もっと買ってくればよかった~
※平海製菓(ひらみせいか)は御年八十三歳の寺田平海さんと同い年のユミさんが手作りしている製品を売っている※「やくしまじかん」のページにリンクします。冒頭のニュース映像で平海さんが「よもぎかん」や「たんかんボーロ」をつくるところがでてきます
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一湊川が村を東西に分けている。

屋久島の村は必ず川の左岸(海に向かって左手)にひらけ、広がるにつれて対岸にも広がっていくのだと長井さんが教えてくださった。

↑川の向こう側(右岸)に見える民宿↑今の建物は昭和四年からだそうだが、江戸末期にも宿屋で西郷さんが来島(島流しの途中だけれど)した折に宿泊した場所。

木造建築が多い中で古い石づくりの建物がめについた↑
これは鯖節を殺菌するための倉庫だったそうな。
工場自体は火災が多かったので、昭和になって川向う(右岸)にまとめて移転させたそうだが、この建物だけは立派だったので?残った。
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さいごに七月の下見で興味深かった樟脳工房⇒「樟脳」はクスノキからつくられる

※七月のヒマワリ咲く一湊下見のブログをごらんください
プラスチックのなかった19世紀後半から普及する二十世紀前半にかけて、セルロイドは重要な工業製品。
写真フィルムも、アニメの「セル画」も、セルロイドが使われていた。

↑こんなやつです、といってもプラスチックとぱっと見わけはつきませんが

クスノキチップを高温蒸気蒸留して、取り出した液体のアルコールと水の間に浮いているのが樟脳。
※上のリンクの中に写真を載せています。

↑クスノキチップはこんな角材を機械で粉砕してつくる↑

↑これはそのクスノキチップを蒸留したカス↑
養豚場の下に敷くのにつかうのだそうな。

↑樟脳の結晶ではなく、アルコールは↑こんなアロマに使える、でもけっこう強い匂い
↑アルコールでなく、水の部分でもじゅうぶん。あ、オードトアレってこういうふうにできるのか。

↑これは木目がきれいなので俎板にして売っていた↑

工房の外には買い付けたクスノキの巨木片がごろごろ転がっていた。
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