旅倶楽部「こま通信」日記

これまで3500日以上世界を旅してきた小松が、より実り多い旅の実現と豊かな日常の為に主催する旅行クラブです。

鹿児島に前泊

2021-12-09 05:30:10 | 国内
《手造の旅》屋久島のために鹿児島前泊するため、とするにはもったいないような青空。

空港からまずは鹿児島中央駅前に到着。

幕末に薩摩藩が密留学させた若者たちの群像。

案内板を読んでいると、街歩きガイドさんが十三歳で渡英団に選ばれた長澤鼎(この偽名で生きることになる)のことを教えてくれた。
※JTBのコラムにリンクします
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駅前はクリスマス市の準備がすすんでいた。

乗り降り自由の「シティビューバス」で城山へ行く途中、大正から昭和にかけて建てられた公民館が見えた。
東京の日比谷公会堂より二年早い。同時代の雰囲気が感じられる。

城山の展望台からは、まさに絵に描いたような桜島が近い。

ふたたびバスにのって三分ほどで「西郷洞窟」へ。

西南戦争最後の五日間、絶体絶命の西郷隆盛がここに籠城した。

1985‐6年、小松がみっちり国内添乗をやっていた時期、何度もここを訪れた。
バスガイドさんが西郷さんの最期を情感豊かに語ってくれたのを、三十数年経た今も忘れない。
洞窟を出た西郷は被弾し歩けなくなった。なおも逃がそうとする別府晋介にむけて「晋どん、晋どん、もうここらへんでよか」と言い、介錯をうけて果てた。

最期まで従ったのは三百人ほどと伝わる。
彼らが寝た洞窟も近くにあるだろうとおもったら、すぐ上のお土産屋さんの横に手掘りの跡も生々しい穴があった。ここを管理しているのは横のお土産屋さんのようだが、無料で見学できる。巨大な西郷さんもお土産屋さんがつくったもの。郷土愛が感じられる。

桜島のこぶりなみかんも食べてみた。
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錦江湾沿いの仙厳園を訪れる。

薩摩藩が鉄を精製していた反射炉の跡↑
このエリアは藩主の別邸・迎賓館の役割と共に工業実験場でもあった。

御殿を見学すると、当時のロシア皇帝に贈った巨大な薩摩焼↑

↑ニコライ二世の紋章が入っている↑これは複製品で贈ったモノはエルミタージュ美術館にあるとのこと。
現地で展示されていたのか、覚えていないなぁ…

↑この部屋がつくられたのは電気がすでに通ってから。

↑天井の模様は最後の島津家主二十九代当主忠義が背が高かったので、天井をより高く見せる工夫だった、と、御殿のガイドさん。当時の薩摩人は他のエリアの日本人より背が高かったそうな。沖縄の影響で肉を食べる習慣があったのが理由とのこと。そうなんでしょうか。

↑二十九代忠義の写真がテーブルの上にある

ロイヤルコペンハーゲンの食器と薩摩切子のグラス、記録によるとほんとうにそんな食器をつかっていたのだそうだ。

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空港すぐ近くのホテルで夕食。

黒牛のすき焼きにステーキとしました。




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