旅倶楽部「こま通信」日記

これまで3500日以上世界を旅してきた小松が、より実り多い旅の実現と豊かな日常の為に主催する旅行クラブです。

奈良下見~長谷寺

2021-03-01 19:04:22 | 国内
七世紀、近江高島(琵琶湖の北西岸)に巨木が流れ出た。
流れ着いた村々で災いをなし、村々を移動させられて百年が経った。聖武天皇が勅命をもって巨木で観音を刻ませ、この地の大岩の上に安置した。

身長十メートルを超えるお姿が暗闇から現れ↑見下ろす眼光にうたれる気がするではないか。
※何度も火事で焼けて、現在のものは江戸時代に製作されたものだが、内部にはかつての燃え残りが納められているという。

清水寺と同じような広々とした舞台がある。
舞台から建物にはいってすぐの場所も広々としている↓

かつて(平安時代から江戸時代まで)はここで寝ていた。
え?それって?2019年に「新・美の巨人たち」を見ていてはじめて知ったのだが、
昔はお参りにくるとそこで眠って、夢でお告げをうけるのが定番だったのだそうだ。
身分のある人・お金持ちは雑魚寝ではなく、お金をはらって個室を借りた。

↑この角の部屋がその名残↑
さらに内陣には(撮影できなかったが)もっと部屋があるようだった。

長谷寺には今でも十名ほどの修行僧がいる。

見学しているときにも、観光客とははっきり違うジャージ姿の若者?が祈りながら内陣をまわっていた。
正面にくるたびにこうべをたれ、時に地面に額づいている姿はさながら別世界に生きている人だった。

「時々二年間のお勤めを全うできなくて寺を出てゆくひともあるのですが、その時はこちらの門を使います」↓

↑「破門、ですね(笑)」※内側からみたところ

↑こちらは正面の門↑これにむかって右手にひっそりと「破門」がある。

長谷寺の見ものはこの門をはいってすぐにはじまる長い石段↑
三つのパートに分かれていて、最初は「過去」をあらわすというゆるい高さ。

次が「現在」の階段↑

階段に沿ってきれいな溝が流れ、その先によく丹精されたぼたんが咲きはじめていた。
「未来」をあらわす第三のパートだけが江戸時代からのオリジナル。

十七世紀からの数百年が、丸くなった手すりにも感じられる。

登りきると、本堂の正面ではなく真横に出る↓そこに鐘楼があって↓
毎日正午に鳴らされるのだそうだ。

この急なはしご階段で修行僧上にあがって突く。

大和四寺=安部文珠院、岡寺、室生寺、長谷寺が数年前からタッグを組んで「観光から信仰へ」を合言葉に見学とお参りのツアーをはじめている。それに参加してお参りの白い紙衣を買うと、四寺の御朱印が押されているというサービスをしている。

***

階段を下りて「破門」の手前にはる宝塔をよくみてみると「道明上人の廟」と書かれている。
十一面観音が奉納される以前、天武天皇のために佛の物語を画いた銅版をここに納めた、寺の開祖であった。
※こちらにその銅版の写真があります。「新・美の巨人たち」の放送ではとりあげていなかったのは残念なことでした。

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