旅倶楽部「こま通信」日記

これまで3500日以上世界を旅してきた小松が、より実り多い旅の実現と豊かな日常の為に主催する旅行クラブです。

呉を下見~てつのくじら館

2021-04-18 13:06:29 | 国内
明日からスタートの《手造の旅》尾道と瀬戸内の島々のために先乗り下見。
「てつのくじら」を下から見上げたところ↓

呉駅から徒歩五分、有名な「大和ミュージアム」のすぐ近くに見えている。
↓潜水艦のことなのです。

潜水艦の内部に入れるのは日本でここだけなのだそうだ。

海上自衛隊資料館の建物三階から直接入れるようになっている。

内部は撮影禁止だけれど一見の価値がある。
それ以上に、展示でおしえてもらうことは多かった。

第二次大戦後の日本は七万以上の機雷が撒かれた危険な海に囲まれていた

↑特に瀬戸内海が(船の出す音や磁気に反応して爆発する)感応機雷でいっぱいだったことが分かる↑戦争中にアメリカ軍が飛行機で投下していったものだ
↓10,703個の感応機雷のうち、平成26年になっても297個の機雷がまだ除去できていない!

日本近海にはアメリカ軍のものだけでなく、合計では七万個というとほうもない数の機雷が撒かれていた。
さらに↓朝鮮戦争において半島で撒かれた浮遊機雷が日本の海岸にも流れてきていた

占領軍は旧日本軍にこれらの除去作業をさせたが、
潜水しての危険な作業や、囮艦作戦をさせられて、七十九名が殉職したと解説されていた。

自衛隊が担ってきたこの地道な作業があったから、
1991年湾岸戦争において、海上自衛隊はイラク軍が多国籍軍の上陸を阻むためにペルシャ湾に撒いた機雷掃討を任務とした。
納得。

↑これは機雷掃討を説明した図
↑左下の白い「浮き」が↓これ

爆発の衝撃で曲がった↓ホンモノ

**
展示室三階から2004年まで現役だった潜水艦「あきしお」の内部に入ることができる。
※内部は撮影禁止だけれど、潜水艦内部がどのようになっているかの展示がある↓

内部はとにかく狭いのですべての空間を有効活用↑椅子の下が食物貯蔵庫

ベッドは三段でこんな↑
日本の潜水艦乗りを育成する唯一の場所がこの呉。
昭和三十年以降七千人のサブマリナーがここからスタートしたのだそうな。

すぐとなりが自衛隊駐屯地なので若い水兵さんもよく見学にやってくる。
退任した方がボランティアガイドをやっていて彼らに声をかける。
「ん、君は入ったばっかりか(^^)しっかりやれよ」
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