海面から二十八メートルの高さにある観音堂より
西暦十世紀、航海安全を祈って崖の上に十一面観音が建てられた。
その場所は朝鮮通信使が「ウサギが伏せているようなカタチだ」と言ったので「阿伏兎」と名付けられた岩の上。
寺の名前は磐台寺だが、通称「阿伏兎観音」と呼ばれるようになった。
ここは安藤広重が画いたころとそれほどは変わっていないのだろう。
写真の無い時代、誇張した表現で旅ごころを誘う(^.^)
源平の合戦で観音像は海に落ちて行方がわからなくなった。
南北朝時代のある夜、地元漁師の夢枕に観音があらわれ、海中から観音像が引き上げられた。
ふたたび岩の上に安置された観音像を納めるために、戦国時代にこの地を治めていた毛利輝元が観音堂を建立したと伝わる。
↑現在のものは江戸時代前期に福山藩が修復したもの↑縁台が外側に傾いている。
↑上の写真で左の海辺に見える多宝塔の場所から観音堂を見上げる↓
2004年の台風被害を修復する際、天正十七年の年号が入った金箔の残る瓦がみつかったのだそうだ。
*
駐車場から少し歩かなくてはならないので
最初は寄るつもりではなかったのだが、
あまりに良いお天気なので駐車場から海沿いを歩いた。
行き止まりがお寺の入口になっていて
入場料を払って小さな境内を抜けると
赤い階段があらわれる。
登ってゆくと冒頭の観音堂に至る。
ここは子授けご利益があるとされ、おっぱいの絵馬がたくさん奉納されていた。
伝説の十一面観音が奥にあるのだろうか。
**
駐車場手前には昔ながらの旅館があり
遊覧船も出しているようだ。
天気が良ければこういうのもありですね(^.^)時間が必要ですが。
旅の本番への取捨選択、いつも悩みます。
***
尾道でいちばん泊ってほしい宿は
数年前にこのベラビスタを知って、いろいろ比べてきましたが現状はここしかないという結論。
少し高台から、いわゆる「インフィニティ・プール」ごしに瀬戸内の島々が見渡せる。
ふりかえって見上げるとこんな感じで客室が配置されていて、
部屋(さまざまなのですが)からの景色、バスビューのカテゴリーの部屋からは
こんな感じでたのしめる。
別棟にむかうと
こんなすばらしいダイニングが待っている。
どんな料理が楽しめるのか、わくわくします(^.^)
近年は外国人向けに意図的に豪華な和室にした高級ホテルも多いけれど、
日本人年配層にとっても洋室の方が使いやすいと思うのです。
西暦十世紀、航海安全を祈って崖の上に十一面観音が建てられた。
その場所は朝鮮通信使が「ウサギが伏せているようなカタチだ」と言ったので「阿伏兎」と名付けられた岩の上。
寺の名前は磐台寺だが、通称「阿伏兎観音」と呼ばれるようになった。
ここは安藤広重が画いたころとそれほどは変わっていないのだろう。
写真の無い時代、誇張した表現で旅ごころを誘う(^.^)
源平の合戦で観音像は海に落ちて行方がわからなくなった。
南北朝時代のある夜、地元漁師の夢枕に観音があらわれ、海中から観音像が引き上げられた。
ふたたび岩の上に安置された観音像を納めるために、戦国時代にこの地を治めていた毛利輝元が観音堂を建立したと伝わる。
↑現在のものは江戸時代前期に福山藩が修復したもの↑縁台が外側に傾いている。
↑上の写真で左の海辺に見える多宝塔の場所から観音堂を見上げる↓
2004年の台風被害を修復する際、天正十七年の年号が入った金箔の残る瓦がみつかったのだそうだ。
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駐車場から少し歩かなくてはならないので
最初は寄るつもりではなかったのだが、
あまりに良いお天気なので駐車場から海沿いを歩いた。
行き止まりがお寺の入口になっていて
入場料を払って小さな境内を抜けると
赤い階段があらわれる。
登ってゆくと冒頭の観音堂に至る。
ここは子授けご利益があるとされ、おっぱいの絵馬がたくさん奉納されていた。
伝説の十一面観音が奥にあるのだろうか。
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駐車場手前には昔ながらの旅館があり
遊覧船も出しているようだ。
天気が良ければこういうのもありですね(^.^)時間が必要ですが。
旅の本番への取捨選択、いつも悩みます。
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尾道でいちばん泊ってほしい宿は
数年前にこのベラビスタを知って、いろいろ比べてきましたが現状はここしかないという結論。
少し高台から、いわゆる「インフィニティ・プール」ごしに瀬戸内の島々が見渡せる。
ふりかえって見上げるとこんな感じで客室が配置されていて、
部屋(さまざまなのですが)からの景色、バスビューのカテゴリーの部屋からは
こんな感じでたのしめる。
別棟にむかうと
こんなすばらしいダイニングが待っている。
どんな料理が楽しめるのか、わくわくします(^.^)
近年は外国人向けに意図的に豪華な和室にした高級ホテルも多いけれど、
日本人年配層にとっても洋室の方が使いやすいと思うのです。