※入場料表示はまだフランスフラン。この年から通貨ユーロへの交換がはじまった
ルノワールが六十代後半から晩年まで十二年ほど住んだ南フランスの家がそのまま美術館になっている。
南側のゆるやかなオリーブ畑は、
二十一歳の梅原龍三郎が六十八歳のルノワールを訪れた時とそんなに変わっていないのではないかしらん。
梅原がはじめて会った時のルノワールはまだ自分の足で歩くことができた。
無名の若い日本人留学生を暖かく迎えてくれたそうだ。
上は北側の玄関。このすぐ右手にアトリエにしていた北向きの窓がある。
梅原はアトリエの窓をみあげたことだろう。
*
翌年になるとリウマチが悪化して歩くのも困難になったルノワール。
彼自身が使っていた百年前の車イス↓
曲がってしまった指に絵筆をしばりつけて画いていた。
作品に登場している小道具がそここにちらかっていた。
六十歳をすぎてから授かった三男クロードに着せた道化師の衣装のひとつかしらん?
この家で妻と三人の息子とともに最晩年をすごしていた。
今はずいぶんきれいになってしまっているそうだが、2002年には「そのまま」のように見えた。
丘の上の邸からは
遠くにカーニュの旧市街が見える
ルノワールが六十代後半から晩年まで十二年ほど住んだ南フランスの家がそのまま美術館になっている。
南側のゆるやかなオリーブ畑は、
二十一歳の梅原龍三郎が六十八歳のルノワールを訪れた時とそんなに変わっていないのではないかしらん。
梅原がはじめて会った時のルノワールはまだ自分の足で歩くことができた。
無名の若い日本人留学生を暖かく迎えてくれたそうだ。
上は北側の玄関。このすぐ右手にアトリエにしていた北向きの窓がある。
梅原はアトリエの窓をみあげたことだろう。
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翌年になるとリウマチが悪化して歩くのも困難になったルノワール。
彼自身が使っていた百年前の車イス↓
曲がってしまった指に絵筆をしばりつけて画いていた。
作品に登場している小道具がそここにちらかっていた。
六十歳をすぎてから授かった三男クロードに着せた道化師の衣装のひとつかしらん?
この家で妻と三人の息子とともに最晩年をすごしていた。
今はずいぶんきれいになってしまっているそうだが、2002年には「そのまま」のように見えた。
丘の上の邸からは
遠くにカーニュの旧市街が見える