旅倶楽部「こま通信」日記

これまで3500日以上世界を旅してきた小松が、より実り多い旅の実現と豊かな日常の為に主催する旅行クラブです。

レ・ボー・ドゥ・プロヴァンス~旧市街と石切り場の今

2021-01-09 22:05:05 | フランス
~2004,2005,2009フランスの旅より
飛行機のなかった中世には難攻不落の砦だっただろう

「レ・ボー」とはこの地方の方言で岩がごろごろした山を意味するのだそうだ。

標高三百メートル付近の旧市街へ

城門をくぐって入る

車の入れない小道に

いいかんじのお店やホテルがある。

フランス人にも人気の観光地

↓↑季節でずいぶん人出がちがう

レ・ボーの街の紋章は★↓
星に導かれてキリストの誕生にやってきた「東方の三賢人」の一人、バルタザールがこの街の祖だという伝説による



ロマネスクのサン・ヴァンサン(ビンセント)教会


当初はカソリックだったが、宗教改革の時代にレ・ボーはプロテスタントの街になった。

16世紀ごろの建物の廃墟にその名残が見られる。

窓枠の上に[ POST TENEBRAS LUX 1571 ] と刻まれている

『暗闇の後には光がやってくる」
カトリック=暗闇のあとにプロテスタント=光がやってくるという意味で、
ジュネーブを中心とするフランス語圏プロテスタントの標語だった。

1631年、ルイ13世は王権にはむかうプロテスタントの逃げ場になっていたレ・ボーを宰相のリシリューに銘じて降伏させた。
街は再びカトリックの支配下にはいったが、住民の趣旨がそう簡単に変わりはしなかっただろう。
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この街のもう一つの顏は1822年にここで発見されたボーキサイト町の名前にちなんで名付けられた。
その、石切り場の跡がびっくりするような場所になっている↓

石切り場としては1970年代には終了

1975年にアルベール・プレシーというジャーナリストで絵描きで写真家で映像作家という多彩な人物が、地下に広がる白い壁をつかって映像を投影し音楽と共に見せる「イメージの大聖堂」というイベントをはじめた。
プレシー自身はは1977年にレ・ボーで亡くなったが夫人が2002まで引き継いだ。
夫人も亡くなったあと、ボー市が買い取って続けている。

ピカソの「青の時代」を映し出していたが、新作も上映されている。

ダイナミックで幻想的な空間を楽しめる場所。
忙しいツアーではなかなか時間がありませんが。


※日本の大宅石採石場の跡でもやったらよいのに、とおもったらすでに意欲的な展示が行われているのを知りました。
2020年のたいへんな時期にもこんなのをやっていたのですね。
訪れてみたいです(^.^)

コメント
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