竹と遊ぼう。伊藤千章の日記、

小平市と掛川市の山村を往復して暮らし、マラソン、草花の写真、竹細工、クラフトテープのかご、紙塑人形の写真があります

連句 介護の仕事で学んだこと その三

2009-07-08 23:06:33 | 介護
送迎で廻った団地の銀杏
 
デイサービスでの介護の仕事の大事な項目に、
利用者さんの話を聞くことがあります。
 
その場合、お互いに理解しあわなければ、
豊かな話にはなりません。
 
皆さん豊かな経験を持っていらっしゃるので、
話を聞く側にも経験が必要です。
私が60歳になっていたことはとても有利でした。

小金井公園の紅葉
 
利用者さんのなかに俳句を作る人がいました。
そんな人が何人か集まった日、
連句をやってみては、とお誘いしました。
私は友人とちょっとだけやった経験があります。
 
連句といっても面倒な規則は一切なし、
一人が五七五を作ると別な人が七七を作る、
それを続けていくのです。
三十六歌仙ではなく四十で終わりにしました。
 
初めは私も加わり、曜日にまたがって続けていきました。

一日一人一句ではもの足りないので、
同時進行で三つのシリーズが廻っていきます。
 
その日の分は後でパソコンに入力し、
翌日は印刷したものに書き加えていきます。
他の曜日の見知らぬ人が続けるので、
知らぬ間に連句上の知り合いになります。


玉川上水の紅葉
 
参加者は全体では10人ほどですが、
週二、三回来る人もいるので、
延べ人数では倍ぐらいになります。
 
これは始めてから今まで、ずーっと休むことなく続いています。
俳句に詳しい人が、
俳句独特の季語や言葉の使い方をすると、
それが私を含めてみんなの勉強になります。
 
ある曜日では5人ほどの参加者が、
曜日を越えて廻ってくるもの以外に、
自分たちだけでも連句を始めました。
 
身体の動きがままならない人たちが多いだけに、
連句はいい楽しみになりました。                    
                                  続く

「辻音楽師」 介護の仕事で学んだこと その二

2009-07-08 02:55:56 | 介護
玉川上水緑道
 
介護の資格をとる、と決めてから、
アコーデイオンを月一回先生について習い始めました。
伴奏しながら歌うにはこれが一番と思ったのです。

ヘルパー2級の資格が取れる見込みが立ったとき
すぐ職探しを始めました。

新聞の折り込み広告の中に、家の近所の、
私の母が通っているデイサービスで募集があり、
早速応募して非常勤として採用されました。
採用時のこちらの条件とした、静岡に行くために、
毎月一週間まとめて休みをとることも認められました。
デイサービスでの私の仕事は、
朝と夕方の送迎車の運転、
送迎の間はエクササイズマシーンの管理が中心になります。
 
送迎中に見る山百合
 
午後2時半頃からのお茶の時間と、
3時半頃からの送り出しの間が、
みんなで歌うとしたら、歌の時間になります。
 
利用者さんの中に自分がハーモニカを吹いて
みんなに歌わせるのが好きな男性Kさんがいました。
 
入社するとすぐ、Kさんに協力して、簡単な歌詞カード集を作り、
Kさんのハーモニカと私のアコーデイオンを伴奏にして、
みんなで歌を歌うようになりました。
 
それがKさんの来る日以外の日にも広がり、
私が出勤する日には必ず歌うようになりました。
歌詞カード集も発達して皆さんのリクエストを中心にして、
100曲あまりの歌を載せたA4版の歌集になりました。
 
利用者さんの中にカラオケの好きな男性が何人もいました。
その人たちの歌好きが私の活動の支えになりました。
 
玉川上水のチダケサシ
 
Sさんはカラオケは嫌いですが、若い頃からのクラシック好き、
今は腕を痛めて止めたけどマリンバの演奏が得意で、
名手の平岡養一と共演したこともあるそうです。
 
彼は若い頃からドイツリートを歌い、
シューベルトの「冬の旅」をドイツ語で全曲歌える人でした。
私は彼のためにアコーデイオンで弾けそうな唯一の曲
最後の曲「辻音楽師」の伴奏を練習して、
歌の時間の中で彼に独唱してもらったこともあります。
 
Sさんは勤めていた頃、転勤先の地方で、
地元の合唱団三団体を合同して指揮したこともあり、
すごい音楽経歴の持ち主です。
彼の協力も私の活動の支えになりました。
 
ベートーベンの第九を歌ったことのある女性もいたので、
私も含めて三人で歓びの歌をドイツ語で歌ったこともあります。
 
利用者の皆さんは私などより人生経験が豊かです。
そんな人たちの経験を生かすことが私たちの仕事でもあるので、
それが歌うことに結びついて、
毎日皆さんのリクエストを中心に歌うことが出来るようになりました。