竹と遊ぼう。伊藤千章の日記、

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「辻音楽師」 介護の仕事で学んだこと その二

2009-07-08 02:55:56 | 介護
玉川上水緑道
 
介護の資格をとる、と決めてから、
アコーデイオンを月一回先生について習い始めました。
伴奏しながら歌うにはこれが一番と思ったのです。

ヘルパー2級の資格が取れる見込みが立ったとき
すぐ職探しを始めました。

新聞の折り込み広告の中に、家の近所の、
私の母が通っているデイサービスで募集があり、
早速応募して非常勤として採用されました。
採用時のこちらの条件とした、静岡に行くために、
毎月一週間まとめて休みをとることも認められました。
デイサービスでの私の仕事は、
朝と夕方の送迎車の運転、
送迎の間はエクササイズマシーンの管理が中心になります。
 
送迎中に見る山百合
 
午後2時半頃からのお茶の時間と、
3時半頃からの送り出しの間が、
みんなで歌うとしたら、歌の時間になります。
 
利用者さんの中に自分がハーモニカを吹いて
みんなに歌わせるのが好きな男性Kさんがいました。
 
入社するとすぐ、Kさんに協力して、簡単な歌詞カード集を作り、
Kさんのハーモニカと私のアコーデイオンを伴奏にして、
みんなで歌を歌うようになりました。
 
それがKさんの来る日以外の日にも広がり、
私が出勤する日には必ず歌うようになりました。
歌詞カード集も発達して皆さんのリクエストを中心にして、
100曲あまりの歌を載せたA4版の歌集になりました。
 
利用者さんの中にカラオケの好きな男性が何人もいました。
その人たちの歌好きが私の活動の支えになりました。
 
玉川上水のチダケサシ
 
Sさんはカラオケは嫌いですが、若い頃からのクラシック好き、
今は腕を痛めて止めたけどマリンバの演奏が得意で、
名手の平岡養一と共演したこともあるそうです。
 
彼は若い頃からドイツリートを歌い、
シューベルトの「冬の旅」をドイツ語で全曲歌える人でした。
私は彼のためにアコーデイオンで弾けそうな唯一の曲
最後の曲「辻音楽師」の伴奏を練習して、
歌の時間の中で彼に独唱してもらったこともあります。
 
Sさんは勤めていた頃、転勤先の地方で、
地元の合唱団三団体を合同して指揮したこともあり、
すごい音楽経歴の持ち主です。
彼の協力も私の活動の支えになりました。
 
ベートーベンの第九を歌ったことのある女性もいたので、
私も含めて三人で歓びの歌をドイツ語で歌ったこともあります。
 
利用者の皆さんは私などより人生経験が豊かです。
そんな人たちの経験を生かすことが私たちの仕事でもあるので、
それが歌うことに結びついて、
毎日皆さんのリクエストを中心に歌うことが出来るようになりました。
 


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