竹と遊ぼう。伊藤千章の日記、

小平市と掛川市の山村を往復して暮らし、マラソン、草花の写真、竹細工、クラフトテープのかご、紙塑人形の写真があります

石見銀山で竹細工を習う、 その六

2009-07-23 02:27:40 | 竹工芸
                     
 
当時家内も紙塑人形を作り始めていました。
夫婦そろって土地の人のお世話になりながら、
生涯続けることになる仕事を見つけたのですから、
銀山で出会った人々には本当に感謝しています。
 
それならどうして石見銀山から静岡県掛川市に移転したか、
それは冬があまりにも厳しかったから。
 
前に書いたとおり、お寺は北向きでした。
島根の冬はそれでなくても曇りか雪、太陽を見ることが少ないのです。
冬には石段に雪が積もりますから、
庭から石段、公道までの道の雪かきが欠かせません。
 
それに東京に母が一人で住んでいるので、
お盆やお正月に帰郷するのに時間がかかりすぎる。
 
当時取っていた新聞に、掛川市の市長さんが生涯学習都市を宣言し、
過疎地にも詳しい人という記事が載っていました。
静岡なら冬は好天続きのはずです。
そこで市長さんに、移住したいが空いた家があるかどうか、葉書で訊ねました。
すると空き家はあるから、一度来て見ないかと言う懇切な返事をいただきました。
 
そんな次第で掛川に移りました。
移ってまもなく浜松の画廊から声がかかって、個展を開きました。
 
本当に未熟で恥ずかしい状態で、今思い出しても赤面してしまいます。
でもその個展で多くの知り合いができ、
仕事を頑張ってゆくきっかけになりました。
 
銀山には以後30年訪れたことがありません。
是非また行ってみたいと思っています。