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リベラリストとの対話―「自由な共産主義」をめぐって―(7)

2014-08-20 | 〆リベラリストとの対話

5:貨幣経済廃止について①

コミュニスト:リベラリストさんは以前の対論で、私の貨幣経済廃止論に疑問を抱いていると指摘されました。今回はこの問題をめぐって対論してみたいと思います。

リベラリスト:わかりました。まず、私が疑問に思うことは、貨幣経済の廃止そのものというより、なぜ貨幣廃止を経済全般に及ぼさねばならないのかということです。例えば、折から問題となっているエボラ出血熱のような感染症パンデミックに際して、貧困層向けに医療や薬剤の無償供給を実現することは大いにやるべきですが、それを超えて、全般的に無償化するというのは解せません。

コミュニスト:「全般的な無償化」というのは、拙見の誤解ではないかと思われます。私はありとあらゆるモノを無償供給するという主張はしていません。無償供給の対象範囲は日常的な衣食住の基盤となる基本物資・サービスと医療などを含めた社会サービスです。

リベラリスト:それにしても、それら全般を無償化する必要性はあるでしょうか。私は多くの米国人のように「働かざる者、食うべからず」とは思いません。働かざるとも、相続財産の運用その他正当な不労所得によって生活することも含め、人間は基本的には自活すべきであると考えます。しかし、自活が困難な貧困者向けには、必要な限度で無償化すればよいのです。

コミュニスト:それは古典的なリベラリストにありがちな救貧的発想ですね。貧富差を前提として、貧困者を助けてあげようというわけです。しかし、そもそも貧困などあってはならないのではないでしょうか。貧困の撲滅は道徳論ではなく、貧困の元凶である貨幣交換を廃止するという大手術でもって達成されるのです。

リベラリスト:勇ましいことです。しかし、それによって果たして狙いである基本物資・サービスが円滑に行き渡るかどうかという技術的な問題があります。生産‐流通‐再生産のサイクルは資本主義では貨幣を介して日々反復継続されていますから、しばしば貨幣は経済の血流にもたとえられます。あなたはその血を抜いてしまおうというのですから、これは手術どころではなく、殺人行為に等しい。

コミュニスト:それは痛烈なご批判です。しかし、貨幣が血であるのは、まさに資本主義経済というシステムにおいてです。それとは仕組みが異なる共産主義経済システムにとって貨幣はむしろ毒物的なものです。共産主義経済では貨幣交換の代わりに、計画供給が行われます。

リベラリスト:ありていに言えば、配給制ですよね。しかし、配給制が機能不全を来たしやすいことは、実際に社会主義体制で実証済みではないですか。

コミュニスト:いわゆる社会主義体制とは、貨幣経済を温存したまま計画経済や配給制を導入するある種の混合経済体制なのですが、これではたしかに貨幣交換が中途半端に妨げられ、経済のサイクルに支障を来たす恐れはあります。だからこそ、大胆に貨幣経済の廃止に進む必要があるのです。そして、貨幣経済廃止のうえに成り立つ無償供給制は配給制とは似て非なるものです。

リベラリスト:このままでは、この議論は永久に平行線をたどりそうなので、次回は切り口を変え、マルクスの『資本論』によって資本主義的な貨幣経済システムの合理性を反証してみようと思います。

コミュニスト:それはまた興味深い逆転の発想ですね。楽しみにしています。

※本記事は、架空の対談によって構成されています。

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