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英国労働党史(連載第1回)

2014-08-18 | 〆英国労働党史

序説

 先に連載を終了した『世界共産党史』の結語で、「英国の謎」を指摘した。「英国の謎」とは、西欧の典型的な階級社会とされる英国で共産党が発達しなかったという一見不可解な歴史的事実のことである。本連載は、その謎の解明を兼ねて、英国で共産党の代わりを果たした英国労働党の歴史を検証することを目的とする。
 その前提として、労働党結成前の英国の状況を概観しておくと、周知のとおり英国では17世紀におけるカトリック派ジェームズ2世の即位問題をめぐる政争に起源を持つトーリーとホイッグの二大党派がやがてそれぞれ保守党と自由党という近代政党に発展し、二大政党政を築いていた。
 マルクスがロンドンで亡命生活を送っていた時期は、ちょうどこの保守/自由二大政党政が最盛期を迎えていた時期であった。この二大政党のうち、カトリック派ジェームズの即位に反対した党派に起源を持つ自由党はその名のとおりリベラルな政党であった。
 同党の主要な支持基盤は商業ブルジョワジーであり、ある意味では資本主義の代表政党でもあったが、リベラルで比較的進歩主義的な気風から、労働党が創設され全国政党に成長するまでは、労働者階級の利益をも間接的に代弁する政党であった。特にヴィクトリア朝時代に計四度にわたり首相を務めたグラッドストンは労働組合法を制定し、組合のスト権を解禁するなど、労働政策でも重要な足跡を残した。
 このように19世紀後半の英国では、まだ存在しない労働党を自由党が言わば「代行」するような仕組みが出来上がっていた。西欧でも労働組合の活動自体が抑圧されがちであった当時にあって、資本主義の世界帝国で先進的な労働政策が進められていたのであった。その延長上に労働党の結成が見えてくる。
 マルクスはプロレタリア革命の手法について、武装蜂起のほかに平和的な方法もあり得ることを指摘し、その可能性がある国の一つに英国を挙げていたが、その預言は完全には的中しなかったとはいえ、半分くらいは当たっていた。当たらなかったのは、労働党が自由党を押しのける形で二大政党の一角に座り、長い時間をかけて事実上自由党化していった歴史の進路である。
 英国で共産党の遠い親類として始まった英国労働党という独特の労働者階級政党の歴史を検証することは、共産党という政治マシンが成功することのなかった「平和革命」の意義と可能性とを改めて再考するうえでの反証的な素材ともなるはずである。


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