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近代革命の社会力学(連載第363回)

2022-01-11 | 〆近代革命の社会力学

中間総括Ⅲ:東西冷戦と革命

 第二次世界大戦後の冷戦期には、新規に独立を果たしたアフリカ・アジア、さらには19世紀中に独立を果たしたラテンアメリカなど第三世界諸国での革命が集中した。冷戦時代のたかだか40年程度の期間中にこれほど革命が継起した時代は、歴史上も異例である。
 しかも、その革命の多くが、急進性の程度差やイデオロギーの差はあれ、社会主義を志向しており、なおかつ、少なからぬ革命がソ連邦の体制教義であったマルクス‐レーニン主義を標榜したことも、特徴的であった(イスラーム化を志向した1979年イラン革命は例外的)。
 その背景としては、戦後、超大国として台頭してきたソ連が、米国への対抗上、第三世界諸国に同盟国・衛星国を培養すべく、積極的に社会主義勢力の革命を支援していたことがある。そして、受け止める側でも、ソ連モデルは短期間での社会経済開発にとって有益と見ていたことがある。
 こうした言わば第三世界革命にも、大別すれば、建国過程での開発革命と、建国から一定以上の時間を経ての社会経済革命の二種類のものが見られたが、前者は主として、戦後独立したアフリカやアジアの新興諸国で多発化し、後者は独立から一時代を経過したラテンアメリカ諸国、あるいは独立から一定の時間を経過した中東諸国などで見られた事象である。
 このうち、前者の開発革命は独立から間もない諸国での革命ということもあり、土台となる経済構造が固まらないままでの「早すぎた革命」となることが多く、その担い手も未成熟のため、最も近代化された社会セクターであった軍の青壮年将校が主導するケースが多かった。そのため、短期で失敗に終わる事例や、軍事独裁化していく事例が少なからず見られた。
 後者の社会経済革命の場合は、ある程度成熟した中産知識階層による革命となることが多く、長期的に成功した事例もあるが、ソ連体制をモデルとした限りでは、ソ連式一党支配体制のコピーとなり、民衆による政治という意味での民主主義の確立には程遠い結果に終始した。
 また冷戦時代の諸革命は、戦争一歩手前での米ソ両超大国の対峙という大状況による制約を必然的に受けたため、両国による直接間接の介入・干渉を受けることが多かったことも、冷戦期における第三世界革命の成否を左右していた。
 とりわけ、東側のハンガリーや西側の韓国で見られたような民主化革命は、同盟国の離反を恐れた米ソ両大国の干渉を受け、挫折する運命にあったため、冷戦期の革命は、民主主義という観点では、それ以前のどの時代よりも「不作」であった(1974年ポルトガル民主化革命は例外的)。
 しかし、1980年代の冷戦末期に入ると、様相が変化する。特にソ連の国力の全般的な低下が顕著となり、自身の体制が揺らいでいく中、第三世界への関与から手を引くようになると、第三世界の革命もソ連モデルから離れ、独自の方向性を追求するようになっていく。
 そして、やがては、ソ連を盟主とした東欧諸国における連続革命から、米ソ首脳による冷戦終結宣言をはさみ、最終的にソ連邦自身の解体をもたらす革命が連続し、20世紀的な世界秩序の枠組み自体の変革がなされた。これに伴い、革命の潮流も大きく変化していく。

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