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近代革命の社会力学(連載第362回)

2022-01-10 | 〆近代革命の社会力学

五十二 ニカラグア・サンディニスタ革命

(5)革命の民主的終了とその後
 アメリカが強力に支援する反革命武装勢力・コントラとの内戦に入った後のニカラグア革命政権の展開として注目すべきは、内戦渦中の1984年に大統領選挙が実施されたことである。それまでは、ダニエル・オルテガが国家再建評議会調整者という立場で事実上の元首格にあったが、この暫定体制を清算し、共和政体を整備することが目的であった。
 とはいえ、革命後の内戦渦中に選挙による体制整備がなされる例は稀有であるが、実際のところ、野党の多くがボイコットしたため、投票率は50パーセントに満たない縮小選挙となった。その結果、オルテガが当選し、大統領に就任した。
 こうして、いちおう選挙プロセスを経て正式に権力を掌握したオルテガは、内戦対処と並行して、主要産業の国有化と親ソ連・キューバの外交政策を軸とするFSLN本来の政策を実行していった。選挙の洗礼を受けたことにより、かえってFSLNの純化路線を展開しやすくなったとは言える。
 しかし、これは逆効果となった。純化路線を忌避するブルジョワ層の国外脱出が相次ぎ、頭脳流出も起きる中、アメリカ政府による経済制裁も追い打ちとなり、継続する内戦による荒廃と合わせ、ニカラグア経済は破綻へ向かったからである。さらに、インフレーションの亢進により庶民の生活苦は増すこととなった。
 後ろ盾のソ連もアフガニスタン内戦支援を抱え、国内的にも体制末期の改革・変動期にあったため、十分な援助はなされず、キューバからの支援も医療・教育などの民生分野にとどまったため、内戦は膠着し、独力での終結が見通せなかった。
 そうした中、オルテガ政権は1987年、ラテンアメリカ諸国の仲介による和平提案を受け入れ、88年にコントラとの休戦協定が成立した。さらに1990年には国連監視下での大統領選挙が実施され、再選を目指したオルテガは保守系野党連合に惜敗、下野した。
 こうして、サンディニスタ革命は、国際的に監視された民主的選挙をもって平穏に終了することとなった。武装革命がこのような終わり方をすることも稀有であるが、これは前年に東西冷戦の象徴だったベルリンの壁の解体と米ソ首脳会談による冷戦終結宣言という時代の転換点を経ていたことがもたらした終局であっただろう。
 しかし、ブルジョワ保守勢力に政権交代したことは、国民の大半が貧困層に属する中で、FSLNにセカンド・チャンスを提供した。90年代以後のFSLNは引き続きオルテガの指導の下、マルクス‐レーニン主義を放棄しつつ、貧困階層を代表する有力野党として生き延び、2006年の大統領選挙では、僅差での辛勝ながら、オルテガが勝利し、大統領に返り咲いたのであった。
 以来、オルテガは現時点まで連続四選し、長期政権を維持している。この第二回のオルテガFSLN政権は、イデオロギー色を薄めつつも、親ロシア・中国の立場で権威主義的な強権統治の様相を見せ、1979年革命当時のサンディニスタの理想からは乖離した選挙制独裁という新たな政治形態の一例となっており、民衆の抗議活動も活発化している。

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