Ⅱ 古代・古典期共産主義
(5)老子「小国寡民」とプラトン「理想国家」
商業都市とその集合体としての国家の発達により、先史共産主義がもはや忘却されていくと、共産主義は現状を批判する理想化された思想として、哲学的に語られるようになる。古典期には、洋の東西でそのような思想が出現した。
その一つは、中国の老子が描いた「小国寡民」である。老子の小国寡民は、互いが行き来しなくとも、すなわち交易せずとも自給自足可能な小規模田園共同体を理想化しており、そこでは船や車、さらに武器のような文明的利器があっても誇示することのないつつましやかな暮らしが想定されている(小国寡民)。
老子は通説によれば紀元前6世紀頃の人とされるが、この時代の中国はいわゆる春秋時代であった。中国大陸中心部の中原が多くの国に分かれて合従連衡する戦国時代前夜であり、すでに牧歌的な時代を過ぎていた。そうした中で、老子は時代に抗って小国寡民の理想を説いたのである。
他方、古典期のギリシャでは、プラトンが哲人の統治する理想国家(政体)を提唱した。プラトンの哲人国家は老子が描くような田園共同体ではなく、当時のギリシャのスタンダードであったポリスを想定しつつ、アテナイのような民主制ではなく、知的な素養を備え、善のイデアを体得した哲学者が統治する一種の君主政体を理想として描いている。
老子においても、彼の言うところの「道(タオ)」を体得した聖人による統治が想定されていたが、老子流の聖人統治者は権謀術策を弄しないという意味での「無為」の統治者であり、良き統治とは、民衆がその功績を特段称賛もしないような無為自然の統治であると論じている(拙稿)。これは消極国家論の先駆けであり、一種のアナーキズムとも読める。
プラトンの哲人国家はより積極的であり、哲学者(哲人王)を頂点に、統治者‐防衛者‐生産者の三階級から成る階級社会である点では非共産主義的であるが、統治者階級及び防衛者階級には所有欲を持たせないため、私有財産が禁止され、家族も共有するものとされ、部分的に共産主義が適用される半共産制が想定されている点でユニークなものである。
(6)スパルタの半共産制
古代ギリシャの都市国家ポリスの中でもとりわけユニークな国制を採用していたのが、スパルタである。スパルタは宣戦布告などの儀礼的役割を果たすだけの二人の世襲王を擁する君主制ながら、実態は統治者階級であるとともに防衛者階級でもある30歳以上の市民が政治の実権を持ち、その下に第二級身分として、参政権を持たないが、土地の所有は認められ、商工業に従事するペリオイコイ、最下級に市民の土地に分属して農業に従事し、貢納義務を負うヘイロタイの三階級制で成り立っていた。
このうち「平等者」とも呼ばれた統治者階級の市民は幼少期から親元を離れて厳しい軍事訓練を受けるとともに、成人後も将軍の配下で共同食事制の下に生活した。市民間の経済的な平等性を維持するため、土地は均等配分され(後に形骸化し、不均等が生じた)、国内での貴金属貨幣の使用が禁じられた。
このようなスパルタの社会経済構造は部分的な半共産制とも呼び得るものであり、晩年のプラトンによっても好評価されていたことは注目される。哲人政治の理想には達しないものの、スパルタの社会構造はプラトン理想国家の三大階級社会に近いものであり、統治と商工業の分離、統治者階級の半共産主義など、プラトン的理想に近いものと認識されていたのだろう。
(7)原初キリスト教団の共産主義的性格
ローマ帝国は商業主義的であり、富の偏在は著しく、労働者階級プロレタリアートの語源ともなった無産階級プロレタリウスの語が生まれたのもローマ時代であったように、徹頭徹尾非共産主義的であったと言える。
そうした中、ローマ支配時代のユダヤでナザレのイエスによって創始された新宗教には共産主義的な性格が見られた。イエスが少数の弟子と共に形成していた原初の教団に衣食住を共にする「共餐主義」的な性格が見られたことは、まさに「最後の晩餐」のエピソードが示しているし、富裕な信者の寄進でまかなわれるようになった教団の資産も共有されていたと考えられる。
イエス自身、「神の国」を貧者の国として説くこともあり、彼が告発・処刑される契機となったユダヤ神殿で引き起こした騒乱も、神殿公認の商人の活動を妨害したものであり、イエスが強い反商業主義的な信条を有していたことも窺える(拙稿)。ただし、カウツキーなど一部の近代共産主義者がイエス自身を「共産主義者」とみなすのは後知恵的な時代錯誤であるかもしれない。
しかし、イエス没後、実弟ヤコブが貧者の運動として教団を率いていた時代にはまだ共産主義的性格は残されており、使徒行伝でも、エルサレムの初期キリスト教会では「自分の所有物を自分の物と主張する者は一人もおらず、すべての物を共有していた」と記されていることから、イエス没後の教会組織でも、初期にはある種の共産主義が実践されていたと見る余地はある。
教会がローマ教皇を頂点とする職階制によって統治され、教会自身も一個の封建領主として領地と領民を支配するようになり、脱共産主義化していくのは時代精神が反共産主義に染まったとも言える中世に入ってからのことである。