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近代革命の社会力学(連載第371回)

2022-01-27 | 〆近代革命の社会力学

五十四 ハイチ民衆革命

(1)概観
 1980年代のアフリカ諸国における第四次革命潮流は、大西洋を越えて、カリブ海のアフリカとも呼ぶべきハイチにも飛び火し、1986年2月に始まる民衆革命を惹起した。もっとも、この革命はアフリカのそれとは性格を異にしており、直接の連関性を認めることは困難だが、冷戦時代末期の同時代的な革命事象の一つには数えられる。
 ハイチ民衆革命は、同年同月に生じ、より国際的な注目を引いたフィリピン民衆革命を経て、80年代末に始まる中・東欧の社会主義圏における民衆による民主化革命へと連なる起点ともなった。
 ハイチは18世紀末から19世紀初頭の黒人奴隷勢力による独立革命によってラテンアメリカ地域でいち早く独立を勝ち取った輝かしい歴史を持つが、その後の歩みは内政の混乱と旧宗主国フランスからの多額の独立賠償金要求に制約され、国家的発展が著しく阻害された。
 20世紀に入ると、ラテンアメリカを勢力圏として確保せんとするアメリカの帝国主義的侵出の標的にされ、実質的な占領状態に置かれるが、その占領下で旧軍隊を解散したアメリカの肝入りにより創設された治安部隊を前身とする軍の政治力が強まり、たびたびクーデタにさらされるようになる。
 社会経済構造の面では、建国以来、白人との混血である少数派ムラートが財閥を形成して支配階級の地位にあり、大多数を占める黒人を搾取する体制が構造化されており、深刻な貧困問題も根本的に未解決であった。
 そうした中、戦後、1956年の大統領選挙で、貧困層への医療活動に貢献してきた医師フランソワ・デュヴァリエが当選した。彼は伝統的なムラート支配階級の外部から現れた黒人系の大統領として、当初は多いに期待された。
 しかし、彼は次第に恐怖政治により独裁化し、終身大統領の地位を固めたうえに、1971年に持病の心臓病で急死すると、その子息で当時わずか19歳のジャン‐クロードが後継の終身大統領に推戴されるという王朝的な権力の世襲まで実現させた。
 このようにして、共和制の枠組みのまま事実上の世襲王朝化したデュヴァリエ一族による29年に及ぶ支配体制を民衆蜂起によって打倒したのが、1986年に始まる革命であった。
 ただし、デュヴァリエ体制が崩壊した86年の段階では革命政権は成立せず、この後、主導権を握った軍部内の権力闘争を反映したクーデター合戦の二転三転と民衆の抗議運動の継続の末、1990年の大統領選挙をもって、民衆運動の指導者であったカトリック司祭ジャン‐ベルトラン・アリスティドが大統領に当選したことで、革命はひとまず収束した。
 このように、ハイチ民衆革命は約4年という長いプロセスを経たが、今日における革命の主流となってきている無党派層による民衆革命の先駆けという歴史的意義を持つ革命であるとともに、革命後に待ち受けていた現在時点にまで及ぶ政治混乱により、こうした無定形でイデオロギー的に凝集することのない民衆革命の困難さをも示している。

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