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共産主義の系譜と展望

2025-07-05 | 共産主義の系譜と展望

まえがき

 11月18日にサービス終了が予定されているgoo blogでは、終了に先立つ10月1日に新規投稿・編集機能の提供が停止される段取りとなっているが、10月1日までまだ日にちがあるので、当初構想しながら挫折していた連載を当ブログ上での最終連載として改めて縮約掲載することにした。
 この最終連載では、当ブログの主軸を成す共産主義に関して、その思想史的な系譜と今後の展望について総括することで、当ブログの締めくくりとしたい。
 共産主義を一つの観念ないし思想として見た場合、それは先史時代まで遡る可能性のある長い履歴を持つが、筆者はソ連の解体消滅以来、もはや失効したとみなされてきた共産主義について、仮冒を含む過去の共産主義思想に由来する先入観を排してこれを独自に再定義し、再生することを試みてきた反面として、共産主義の系譜についてはほぼ捨象せざるを得なかった。そのため、本連載をもって、その捨象した部分を補充する所存である。
 とはいえ、投稿可能な期間が実質上9月末までと限られているため、仮説上の先史共産主義に始まり、古代から現代に至る世界における共産主義の系譜と展望を相当な早駆けで総覧していかなくてはならないので、覚え書き的な素描とならざるを得ず、改めて新ブログ上で補訂する可能性がある。

 

Ⅰ 先史共産主義

(1)石器生産と原始共産主義
 しばしば過去の共産主義者の多くが先史時代を共産主義の原初段階として想起していたが、文字体系が発明され史料が残されている以前の先史時代における共産主義に関しては、すべて仮説の域を出ない。
 遺跡の考古学的な分析から社会のあり方を推測することはできても、観念ないし思想としての共産主義が先史時代に存在したかどうかは物質的な分析によっては導き出せないので、永久に仮説のままである。
 そういう前提で先史時代を見返すと、農耕開始以前の狩猟・採集社会における共産主義というものを想定することはできる。その点、共産主義=私有財産の否定・財産の集団的共有という定義による限り、集団的な狩猟や採集によって獲得した動植物を集団で分け合うことが原初の共産主義だということになるかもしれない。
 けれども、共産主義を私有財産の否定・財産の集団的共有という法的な所有観念のレベルに限局してとらえるのは旧い定義である。より新しい定義によれば、共産主義とは生産活動の様式に係る一つの考え方であり、それは生産手段の社会的共有を通じた共同的な生産活動及び生産物の公平な分配を志向する社会思想である。
 そうとらえ直すと、狩猟・採集よりもむしろ人類最初の生産活動と言うべき石器の生産がいかにして行われていたのかということのほうがより重要な問題である。その点、簡単な石器の生産は原人の時代から確認されており、人類の進化に伴い、石器は様々な用途に応じた加工製品として発達していく。
 そうした石器製造における生産手段である石や採石場が集団的に所有されていたのか、また石器生産が集団的に実施され、かつ完成した製品としての石器が集団的に共有され、分配されていたのかは、先に述べたとおり、石器に対する考古学的な分析からは解明できない問いである。
 仮に石器生産が共産主義的に行われていたとすれば、それこそが最初の共産主義=原始共産主義ということになるかもしれない。しかし、石器生産が個人的に行われ、基本的に石器は製作者個人もしくはせいぜいその家族の所有に属すると観念されていたならば、原始共産主義は幻想であるということになる。


(2)互助的交易活動と共産主義
 人類は早い時期から集団間での交易活動を開始しており、人類とは本質的にモノを交換し合う動物である。こうした交換=交易は貨幣制度が発明される以前は物々交換によっていたと推定されるが、交易活動は後の商業活動の萌芽である。
 商業活動は私的所有権と私有財産という観念及び商業を専業とする商人という富を蓄積する階級を誕生させ、共産主義的な観念からの離脱を促進したことは間違いないが、貨幣が発明される以前の原初的な交易活動の段階ではまだ商人の階級分化は起きていなかったと想定することができるかもしれない。
 物々交換は貨幣交換よりも煩雑であり、しばしば儀礼的でさえあり、日常的・大量的に反復するには適しないから、物々交換による交易活動は富の蓄積を目的とした商的な活動というよりは、集団間の互助活動―さらには互助を通じた同盟形成―という意味合いが強かったとも考えられる。
 互助は後に近代のアナーキズムが基軸とした経済思想であるが、共産主義においても互助は生産活動の目的を成す観念であるから―資本主義における利潤追求と対照される―、互助的な交易活動は原始共産主義の一形態とみなすことも可能である。
 その点、考古学は先史時代から相当な遠距離間で交易活動が行われていたことを証明しているが、交易活動の目的や動機、様式までを解き明かすことはできないから、互助的交易活動というものもまた、仮説の域を出ないものである。

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