ザ・コミュニスト

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年頭雑感2022

2022-01-01 | 年頭雑感

パンデミック3年目に突入した本年には、これまで経験したことがないほどに、ほとんど更新感がない。現状では、今年中にパンデミック終息宣言が出る目途も立たないだろう。この間、世界の資本主義経済は、恐慌のように激しいクラッシュこそ見せていないが、言わば遅効性の毒が全身に回るような形で、確実にダメージを進行させている。

そうした目に見えないダメージは、経済活動の最末端に垣間見える。筆者の地元でも少なからぬ小店舗が廃業し、あるいは別の店舗に変わったりと、目に見える形での状況悪化が進行している。こうした零細資本は、経済悪化の直撃を最初に受けるからである。

このままさらに何年もパンデミック状態が継続するならば、資本主義経済には回復不能なほどの致命的なダメージが加わり、革命などなくとも、自然に朽ちていくだろう。コミュニストにとっては望むところであるが、資本主義者にとっては何とかして避けたい事態であろう。

それなのに、資本主義経済の保障人であるはずの政治が、ウイルス初発時のパニック・モードを解除して経済正常化を急ごうとせず、新たな変異ウイルスが拡散するたびに、恒例となったロックダウンなどの非常措置へ走りたがるのは、いささか不可解である。

その最も単純かつ穏当な理由として、出口戦略の鍵とみなされていたワクチンの有効性に早くも限界が現れ、ワクチン防御を突破するような変異ウイルスが出現したことで、出鼻をくじかれたことがある。これは、人智をあざ笑うかのようなウイルス側の生存戦略のせいである。

それとも関連する政治的な理由として、政治家が公衆衛生家に一部権力を事実上移譲してしまったことがある。今や、かれらの勅許がなければ、パニック・モードを解除することもできず、公衆衛生家が国内/国際政治を代行しているに等しい状況である。これは、対策の失敗の責任を負いたくない政治家にとっては、好都合な部分的権力移譲なのだろう。

もう一つのより深層的な理由としては、パンデミックを理由とする公衆衛生非常措置やワクチン接種義務化など、平常時では独裁体制でない限り得られないような強大な権力を得られる旨味の味をしめたということが考えられる。その点、現行法制上強力な非常措置を取れない日本では、改憲論議に結び付けられているのも、そうした傾向の日本的な表れである。

さらなる深層的な理由は、多くの業界にとってダメージとなるパンデミック下にあっても収益増に沸いている業界との結託関係である。この火事場泥棒的な業界として、ワクチンの開発・販売利益や治療薬の開発・増産による利益で潤う製薬業界や、巣籠もり需要の急増に沸く通販業界や運送業界など、かなりある。政治がこれら業界に寄生することで新たな汁を吸えるということに目ざとく気付いた可能性もある。

このように、パンデミックの継続は悪いことばかりではないようなのだ。「パンデミック政治経済」のような奇妙な利益複合体が形成されつつあるのかもしれない。そのような形での“新しい資本主義”とやらが誕生するのか、それとも、それは所詮、資本主義経済末期に咲く最後のあだ花に過ぎないのか。これが、今年の個人的な見極めとなる。

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