Ⅰ 先史共産主義
(3)原始農耕/牧畜と共産主義
農耕の開始時期については考古学的な新発見により時代が次第に遡っているが、いずれにせよ、最初期農耕は狩猟・採集の補充程度のものでしかなかったことも裏付けられている。農耕が狩猟・採集より比重を高めるのは、紀元前8000年頃の西アジアにおいてである。
農耕は共同作業としての性格が元来強く、共産主義とは馴染みやすい。おそらく最初期の原始農耕は共産主義的に行われた可能性がかなり高いと見てよいであろう。すなわち、共同での栽培・収穫、収穫物の集団的共有と分配が自給自足的に行われていたと考えられる。この段階での集落共同体は小規模で、まさに共産主義的なコミューンに近いものだっただろう。
集落共同体が原初的な都市と言える程度まで発達しても、例えば、紀元前7000年頃に遡るチャタル・ヒュユク遺跡(トルコ)の研究によれば、王族や神官のような特権階級の存在の特徴が見られず、平等社会であった可能性が高いとされる。
また、最新の調査では、チャタル・ヒュユクでは旧石器時代の文化で典型的に観察されるように、男性と女性が同等の社会的地位を持っているように見えるなど、性別に基づく社会的差別はほとんどないことも明らかになった。
共産主義=無階級・平等社会という定義も共産主義の定義としては不完全なものであるが―非共産主義的な無階級・平等社会も理論上は想定可能―、先史農耕社会が共産主義的であった可能性は十分にある。
一方、牧畜も農耕とほぼ同時的に開始されたと考えられており、今日に至るまで両者は経済的に一体性が強いが、共産主義との関わりでは、両者には相違がある。
牧畜は家畜の飼育を本旨とする生産活動であり、農耕に比べて、個人あるいは家族単位での家畜の所有という観念を醸成しやすい。今日でも、アフリカのマサイ族のような牧畜民にとって、家畜としての牛が最重要財産として貨幣以上に重要な財産価値を有しているということからしても、牧畜は農耕より私有財産制との新和性が高い。
上掲チャタル・ヒュユクでも、時代が下ると次第に平等主義的ではなくなっていく証拠が見られるとされるが、これはチャタル・ヒュユクでも農耕に続き、牧畜が開始されたことと関連があるかもしれない。
(4)首長制・都市の成立と脱共産主義
農耕も規模が拡大し、自給自足を越えた余剰生産が行われるようになると、次第に脱共産主義化していった可能性がある。この段階に達すると、生産力の高い土地を占有する者が集落共同体の集団的指導者として力を持つようになったであろう。
共同体の集団的指導者は当初、余剰生産物の管理や交易活動の運営など、主として経済的な面を采配する管理者のような存在であったかもしれないが、次第に地主として弱小の共同体成員を従えるようになり、共同体の運営が複雑化するにつれて、政治力も持つようになった。
このように農耕の発達に伴い、共同体内部に階層が発生したことが、脱共産主義化の本格的な第一歩であったかもしれない。集団指導制の成立は同時に、指導者とその一族が共同体内の大地主となることにより、土地私有制の成立とも軌を一にしていたであろう。
共同体の規模が拡大すると、統治の安定性の観点からも次第に単独の首長が采配するようになったことも容易に想定できる。こうして首長制が成立する。集団指導制にはまだ共産主義的な要素が残されていたが、単独首長制は明白に脱共産主義的である。
その間、共同体の拡大と交易活動の広域化・商業化に伴い、各地に都市が成立したことも脱共産主義化を促進したであろう。富の集中と階層化が進んだ商業都市は素朴な共産主義とは本質的に相容れないものだからである。