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9条安全保障論(連載第4回)

2016-07-23 | 〆9条安全保障論

Ⅰ 9条の重層的解釈

三 9条の時間的重層性

 法律の条文解釈において、一つの法文の時間軸が過去・現在・未来のすべてにまたがるということは通常なく、そのような時間的に重層化された解釈など、正規の法律解釈論からは非常識とみなされるだろう。しかし、こと9条に関しては、このような解釈が認められるべきものと思う。9条はそれだけ独特で、内容豊かな規定なのである。以下、その一端を示すが、詳細は次章以下で論じるとして、ここでは総説的に全体のアウトラインのみを記す。

 まずは、9条の過去時間軸として、9条の第1項が指示しているのは、軍国主義体制の清算である。過去の軍国主義体制とはすなわち、一世代前の明治憲法で規定されていたような富国強兵に基づく軍部優位の先軍的な体制の全体である。
 従って、単に戦争や武力行使をしなければよいというような政策的レベルにとどまらない体制変革が要求された。このことは、9条が第二章:戦争放棄に含まれる唯一の条文として、第四章以下の統治機構に関する章はもとより、基本的人権を定める第三章よりも前倒しで規定されているという独異な憲法構成からも裏付けられよう。
 こうしたことから、軍の不保持を定める第2項においても、旧日本軍の武装解除・全面解体がまずは要求されたと読める。このような軍国主義体制の清算は、すでに敗戦後の占領過程で実行済みである。

 次に、9条の現在時間軸としては、まず(1)清算された軍国主義体制の復活阻止である。軍国主義体制の清算は将来の復活を予定した一時的なものではなく、恒久的な要求である。この点は第1項で、国際紛争を解決する手段としての戦争と戦争に準じた軍事行動とを永久に放棄すると宣言されていることからも、明らかである。
 その一方で、現存国際社会が恒久平和を達成できる条件になく、依然として諸国が軍事力を保持し、軍事的な侵略の危険から解放されていない間においては、武力による自衛権を留保することを否定していないと理解される。こうした第二の現在時間軸としての(2)自衛力の留保に関しては9条の法文自体に明定されていないため、厳格解釈の立場からは逸脱した解釈だという批判もあり得るところである。
 しかし、国際慣習法及び国家の個別的自衛権を認める国際連合憲章の規定を援用することで、9条もこうした現在軸を一切否定するものではないという解釈は導けるだろう。ただし、第2項で軍の不保持は譲れないから、9条の下で保持できる自衛のための国家武力は軍隊組織や軍隊に転用可能な組織であってはならないという制約は付く。また交戦権も放棄されているから、自衛権の行使として発動できる武力は、侵略排除的・防御的な行動に限られる。
 9条の現在時間軸は、さらに(3)絶え間ない軍縮の継続を要求する。すなわち、世界における恒久平和の達成に向けて、軍縮の指導性を発揮すべきことを日本国民に課しており、それとの関連において、(2)で留保される自衛力についても、絶えず縮小が要求される。

 最後に、9条の未来時間軸として、恒久平和の達成である。つまり、地上からおよそ兵器も国家武力も一掃された理想状態である。9条が目指しているのはそのような到達点であって、現在時間軸止まりでは決してない。従って、現在時間軸で認められる自衛力の保持は恒久的であるという解釈は正しくない。
 具体的には、自衛のための国家武力も未来に向かって廃止されるべきものであって、現在時間軸の(3)で要求される軍縮・防衛力縮小の義務もまた単なるスローガン的な平和政策ではなく、そうした9条の未来時間軸から導かれる要求なのである。

 以上の9条の重層的解釈から導かれる国家目標を順に並べると、過去時間軸→非軍国主義体制現在時間軸→過渡的安保体制未来時間軸→未来的非武装世界とまとめることができる。次回以降では、この順序をあえて崩して未来→過去→現在の順にたどってそれぞれの内容をさらに展開していくことにしたい。

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