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戦後ファシズム史(連載第44回)

2016-07-04 | 〆戦後ファシズム史

第四部 現代型ファシズムの諸相

2‐7:ロシアの場合
 旧ソ連諸国の中で、独立後、管理ファシズムの方向に流れている諸国として以前挙げたグループの中でロシアを保留にしておいたのは、ロシアの管理ファシズムは、他の諸国のように独立後、ストレートには生じなかったからである。
 ロシアでは1991年のソ連解体後、解体プロセスを主導した当時の「急進改革派」ボリス・エリツィンが旧ソ連を構成したロシア共和国を引き継ぐ形で、新生ロシア連邦の大統領となった。このエリツィン時代のロシアは脱ソ連を図る政治経済的な激動期であり、急激な市場経済化を進めるエリツィンの強引な政治手法は、議会との武力衝突を経て制定された新憲法により大統領権限が強化されたことで、法的にも正当化された。
 ただ、経済の混乱や金融・財政危機に見舞われ、チェチェン独立派との内戦も激化する中、エリツィン大統領は任期途中の99年末に突如辞職し、同年、首相になったばかりのウラジーミル・プーチンを大統領代行に指名した。
 当時まだ40代のプーチンは元共産党員にして、旧ソ連時代には諜報・秘密警察機関KGBのキャリア要員であったが、ソ連解体の前年に退職し、当時「改革派」の拠点でもあったレニングラード(現サンクトペテルブルク)市の幹部職を足場に、短期間でエリツィン政権高官にまでのし上がった人物である。
 こうしてエリツィンから事実上の禅譲を受けたプーチンは、2000年の大統領選挙で当選して以来、エリツィン時代の混乱を収拾し、ロシアを新興大国に押し上げた実績と大衆的な支持を誇り、現在までロシアの最高権力者として君臨し続けている。
 この間、任期4年かつ三選禁止の憲法規定を形式的に満たすため、2008年から12年までは大統領職を腹心のドミトリー・メドヴェージェフに譲りつつ、首相職に回る形で「院政」を敷いた後、再び大統領に復帰した。このようにプーチン支配体制には形式的な中断があるものの、その権威主義的な本質は一貫している。
 政策的には中央集権、経済への国家介入、対外的な覇権追求を基本とし、保安機関を通じた厳格な治安管理や政治的謀略、メディア操作による言論統制など旧ソ連体制との類似性は強いが、共産党とは明確な一線を画する点では、マルクス‐レーニン主義からの変節という現代型管理ファシズムの性質を共有している。
 プーチン体制におけるプーチンのカリスマ性は大きいが、必ずしも他の旧ソ連諸国で見られるような個人崇拝的な独裁体制ではなく、より合理的な権力集中体制である。議会制は否定されないが、大統領与党の「統一ロシア」が常時優位を占め、議会は翼賛化されている。
 与党「統一ロシア」自体はファシスト政党ではなく、イデオロギー色の希薄なナショナリスト政党であるが、翼賛的包括政党としての性格が強く、プーチン体制もファシズムを綱領に掲げない政党を通じた不真正ファシズム体制の一種と言える。
 ただし、プーチンは大統領職復帰前年の2011年、「統一ロシア」とは別途、政治団体「全ロシア人民戦線」を創設している。これまでのところ、この団体は政党化されていないが、「統一ロシア」を含むより広範なプーチン個人の翼賛組織的な色彩が強く、プーチン体制の性格にも変化を及ぼす可能性はある。
 ちなみに、ロシアには90年代から、元ソ連軍将校ウラジーミル・ジリノフスキーが率いるよりファッショ色の強い自由民主党が存在しており、同党は93年の下院選挙では第一党に躍進する勢いを見せたが、その後はジリノフスキー党首の奇矯な言動やエリツィン、プーチン両政権による懐柔策などもあり、小勢力に後退している。
 さて、ロシア大統領の任期は08年の改憲により12年開始の現任期より6年に延長されたが、三選禁止は変わらないため、プーチンは規定上最長でも2024年に退任予定のところ、再改憲による多選解禁を通じて事実上の終身政権となるか、あるいは形式上大統領を退任したうえの「院政」となるのか、現時点で去就は不明である。
 あるいはプーチンが完全に引退した場合、後継指導者の下、管理ファシズムが修正されて継続されるのか、より可能性は低いものの、管理ファシズム体制が廃され、西欧型の議会制国家として再編されるのか、将来の動向が注目される。


[追記]
2020年の憲法改正により、大統領任期は連続か否かを問わず、通算二期までに限定されたが、この制限条項は過去及び現職の大統領には適用されないため、プーチン大統領はさらに二期、最長で2036年まで大統領にとどまることが可能となった。これが実現すれば、ソ連時代の独裁者スターリンを超える長期執政となる。

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