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9条安全保障論(連載第2回)

2016-07-15 | 〆9条安全保障論

Ⅰ 9条の重層的解釈

一 9条の構成

 9条の時間的に重層的な解釈を示すに当たり、まず9条がどのような構成でできているか、はじめに再確認しておく。9条の法的な注釈・解説は憲法の教科書類でなされているので、あえて繰り返すまでもないように思えるが、以下では、本連載との関連で見落とせない点だけ簡潔に言及する。
  

第1項
日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

第2項
前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

  
 9条はこのように、二つの項から成るが、別々の内容を立てているのではなく、第1項と第2項は連続している。本来は一つの条文に一本化してもよかったのだが、長文化を避けるためか、二項に分けて規定された。
 第1項は目的条項であり、国際平和の希求及び戦争と武力による威嚇・武力行使の永久的放棄が宣言されている。ここで注意すべきは、「永久」という無限概念が使われていることである。もしこの文言が含まれておらず、単に「放棄する」であれば、将来の改憲によって放棄を撤回することもあり得るが、「永久に」とあることから、これは将来の改憲によっても撤回しないと宣言したことになる。
 このように、第1項で示された目的は、将来の憲法改正の方向性をも指示する強い拘束力を持っているのである。つまり、日本国民は永遠に戦争や戦争に準じる軍事力の行使をしないとの憲法的な誓いである。
 これを受けた第2項は、第1項の目的を達成するための手段として、戦力の不保持及び交戦権の否認が規定された手段条項となっている。本項で注意すべきは、前段で放棄する対象として「陸海空軍その他の戦力」と包括的に定めていることである。従って、名称は陸海空軍でなくとも、能力的に戦力として投入され得る国家武装組織の保有は禁じられることになるのである。
 もう一点、第2項後段ではあえて交戦権の否認を明記していることの意味である。前段で戦力の包括的放棄を規定しておけば、事実上交戦はできないから、あえて交戦権の否認を明記することもないはずだが、後段はダメ押し的に、法的にも国家としての交戦権を否認することで、事実上のみならず、法的にも交戦できないようにしているのである。

 かくして、9条は世界に稀なる徹底した非武装平和主義の法的な表現となっている次第である。それゆえ、これを文言どおり絶対化して解釈すれば、日本国は永遠に完全非武装でなければならないことになる。
 しかし、その一方で、先に少し触れたように、9条は本来一続きの文章を二項に分割規定したことから、1項と2項を分断したうえ、規定全体の趣意を相対化し、最終的には骨抜きにしてしまえるような相対的解釈の余地をも生んできたのである。次回は稿を改め、こうした絶対的解釈と相対的解釈とについて、批判的に対比検証する。

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