【岩崎俊夫BLOG】社会統計学論文ARCHIVES

社会統計学分野の旧い論文の要約が日課です。

時々、読書、旅、散策、映画・音楽等の鑑賞、料理とお酒で一息つきます。

笹本恒子『恒子の昭和』小学館、2012年

2012-10-12 00:23:27 | 美術(絵画)/写真

          
 
  日本初の女性写真家が撮った昭和の風景。人と出来事。フォトジャーナリストとしての笹本さんの仕事の集大成とでもいうべきもの。


   表紙の写真が、いい。東京隅田川の言問橋の付近。戦争でなにもかも失った人たちが共同生活をしていた。この辺りは「蟻の街」と呼ばれていた。中央にいる女性は、北原怜子(きたはらさとこ)さん。ポーランド人のゼノ修道士に導かれ、子供たちにキリストの教えを説いていた。彼女と子供たちのワンショット。

   本写真集の中身は2部に分かれ、一部は「昭和を生きた人々[人々編]」、二部は「激動の昭和[出来事編]」。人々編のなかにいい写真がたくさんある。沢田美喜、太田薫、浅沼稲次郎、徳富蘇峰、崇仁親王妃百合子妃殿下、室生犀星、東郷たまみ、ヨネヤマママコ、壷井栄、三岸節子、新藤兼人。みな白黒写真だが、かえってそのほうが人物の個性を浮き彫りがくっきりでる。その典型的な写真群。

   二部の「激動の昭和」では、写真協会に所属して時代の作品、開戦前夜、進駐軍、平和への祈り、女性台頭、民主化の波の見出しのもとに歴史をとらえた写真が並んでいる。

   膨大な写真のなかから厳選されたものばかり。昭和がくっきり甦る。

  本書は著者を写真の世界に導いた林謙一氏に捧げている。


笹本恒子『好奇心ガール、いま97歳』小学館、2011年

2012-10-11 00:20:40 | エッセイ/手記/日記/手紙/対談

             

   著者はフォトジャーナリスト。97歳。この仕事は写真をとり、撮影した人から話を聞いて、それをまとめて写真にコメントをつけて発表する仕事。戦前、1940年に財団法人写真協会に入社、日本人初の女性報道写真家になる。


   それは全く偶然の出来事だった。当時、自宅の離れに居住していた東京日日新聞の社会部長だった小坂新夫さんが元社会部記者の林謙一さんが始めた写真協会を紹介したので、好奇心半分で覗きにいったおり、その林さんから報道写真家を勧められ、飛び込んだのがその世界だった。以後、体当たりの取材をしながら、仕事の内容を覚えていった。

   戦後はフリージャーナリストとして活躍。評論家の大宅壮一、徳富蘇峰、エリザベス・サンダースホーム園長の沢田美喜、歌舞伎役者の八代目松本幸四郎、女優の夏川静枝、政治家の浅沼稲次郎、三段跳びの金メダリスト織田幹雄、俳人の中村汀女などを撮り続ける。

   その後一時、写真の世界から身をひくが、1985年の写真展でカムバック。2010年9月に開催された個展「恒子の昭和」が大反響を呼んだが、これも偶然から出たまこと。2010年4月11日にたまたまでかけた「小西康夫展」で康夫さんの妻ケイトさんに会い、その折りに話題になったのが恒子さんの写真展の企画だった。とんとん拍子に企画が進み、画期的な写真展として成功した。

   なんにでも興味をもち、もちかけられた仕事に積極的に応じる、それが彼女の人生の機動力だった。三岸節子さんなどいい人との出会いに恵まれたのも彼女が生まれながらにもっていた人柄のおかげであろう。

   写真には被写体をとおして、写し手の人柄がでるのである。巻頭にこの本の内容に関連した写真が多く掲げられているが、それらを眺めていると、このことをつくずく感じる。著者は本書で女性報道写真家としての約一世紀の長い道のり、パリでの生活、野尻湖でのひととき、家族のこと、戦時中の辛かった経験をケレン味なく、のびのびと、語っている。彼女が歩いた昭和の世界が甦る。


「肴と酒の店 いさむ」(鎌倉市小町2-3-9;0467-23-1817)

2012-10-10 00:09:25 | 居酒屋&BAR/お酒

 

  鎌倉の小町通り、駅の方から歩いて200-300メートルほどいったところで左手に小道があり、そこをさらに進んでいくと、この店がある。この辺の路地裏
をあるいていて偶然、みつけた。

 なかなか面白い雰囲気があると思っていたら、老舗だそうだ。いまは3人の女性がしきっている。最年長はこの店の3代目。その娘さんと、手伝いの(?)女性がひとりいる。創業は大正13年。先々代の勇次郎さんが「勇亭」として開業。場所は若宮大路にあったそうである。昭和37年に店の名を「銘酒コーナーいさむ」と変え、さらに昭和42年に場所を小町通りに移した。現在の場所に店をかめるようになったのは平成13年からとか。創業からは80年以上の歴史があるのだ。

 面白いと書いたのは、カウンターの数か所に自分で燗をするところがあることだ。好みの熱さで、飲んでくださいということ。このカウンター(11席)の他には、テーブル席がひとつ(6席)。しかし、そこはいついっても、客が荷物を置く場所になっている。みなカウンターに座って、おとなしく飲んでいる。

 メニューにも面白いものがある。「エレベーター」である。最初は何か全く想像もつかなかった。女将さんの説明を受けた。これは大根おろしの上にあぶった小揚げを刻んだものをトッピングしたもの。小揚げは「あげ」、大根おろしは「おろし」、「あげ」と「おろし」で「エレベーター」だそうだ。なるほど。

 この例外的に面白いネーミングの総菜の他に、鎌倉野菜のサラダ、牛肉のサイコロステーキのようなもの、鶏肉のソテーのようなもの、などメニューは豊富、そしてお酒も日本酒はもとより焼酎、ワイン、ウィスキーとなんでもある。女将さんは「何でもあります」を連発していた。テキーラもあり、丸顔の娘さんはテキーラが好きで、そしてテキーラの歴史とか、メキシコのテキーラ村のこととか、詳しく解説していた。まだ若いのに、こんなにテキーラのことを話す女性にはこれまで逢ったことがない。

 9時には閉店。小町通りはどこも店じまいが早い。あたりまえだ。東京が異常なのだ。9時は、丁度いい時間。湘南新宿ラインに、その時間に乗れば、かろうじてたが午前様にならないで帰宅できる。


ヴィヴァルディ「四季」(ヴェネツィア室内合奏団;於 イタリア文化会館アニェッリホール)

2012-10-09 00:36:30 | 音楽/CDの紹介

           

   
 
 ヴェネツィア室内合奏団によるヴィヴァルディ「四季」のコンサートがイタリア文化会館アニェッリホールであった。MAGICOという楽器店主催の第3回コンサート。

 曲目は下記のとおりで、「四季」をメインに、他の曲を間にはさんでの公演であった。イタリアではイ・ムジチと並び称される楽団である。期待にたがわず、すばらしい演奏を披露してくれた。個々人の力量もさることながら、全体のアンサンブルがよい。楽器がたのしそうにお互いに響き合っている。「超一流」の心地よさだ。

 なかでもチェロのDavide Amadioさんは、凄いと思う。完全に音楽のなかにのめりこみ、陶酔している。チェロが自分の身体の一部になっていて、楽器の扱いは自由自在。自家薬籠中の演奏であった。おおむこうを唸らせる演奏というものはこういう演奏をいうのだろうか。

 うまい演奏家はたくさんいるが、彼らの演奏は次元が違う。最大級の喝采、そして手を振って感動を伝えてしまった。

 ヴェネツィア室内合奏団はパオロ・コニュラートによって1987年に創設された楽団。真のヴェネツィアの伝統を継承しながら、斬新で個性的な演奏を得意としている。ヴェネツィアを拠点に年間300回ほどの演奏会をこなし、世界でも現在もっとも注目されている合奏団である。

・Antonio Vivaldi: ヴァイオリン協奏曲「四季~春」作品8-1
   Violin-Paolo Ciociola
・Antonio Vivaldi: ヴァイオリン協奏曲「四季~夏」作品8-2
   Violin-Giuliano Fontananella
・Antonio Vivaldi: ヴィオラとチェロのための協奏曲RV.531
   Viola-Sonia Amadio  Cello-Davide Amadio
・Pabio de Sarasate:序奏とタランテラ
   Violin-Nicola Granillo
・Antonio Vivaldi: ヴァイオリン、チエロ、弦楽合奏とチェンバロのための協奏曲RV.547
   Violin-Nicola Granillo Cello-Davide Amadio
・Antonio Vivaldi: ヴァイオリン協奏曲「四季~秋」作品8-3
   Violin-Pietro  Talamini
・Antonio Vivaldi: ヴァイオリン協奏曲「四季~冬」作品8-4
   Violin-Anania Maritan
・Haendel - Halvorsen:パッサカリア
   Violin-Paolo Ciociola Cello-Davide Amadio


郭洋春『現代アジア経済論』法律文化社、2011年

2012-10-08 00:18:07 | 経済/経営

            
 
  「平和の経済学」を提唱する著者のアジア経済論。世界経済の展開に果たすアジアのウエイトは年々、重くなっている。象徴的な出来事は、2008年のリーマンショックに端を発した世界金融危機の拡大を防いだ中国経済。中国は自国経済への影響を最小限に食い止めるために大規模な財政投入を行い、その結果、中国の内需は拡大し、多くの国々の輸出先ともなり、世界経済の危機的状況からの浮揚を下支えした。


  著者はこの事実を「はじめに」で掲げ、本書全体で今日、そして今後のアジア経済が果たす役割の大きさを分析、展望している。内容はアジア経済の総論的部分に始まって、グローバリゼーションがアジア経済に及ぼす影響、FTA(自由貿易協定)、APEC(アジア太平洋経済協力会議),WTO、ASEM(アジア欧州会合)の役割と問題点、観光産業の位置づけ、領土問題と非常に広範である。

   全体をとおしてあるのは、自由貿易経済への志向と保護貿易主義とが拮抗するなかで、アジア経済の協力・強調の関係は不可避である、ということだ。世界経済の今後の発展にとってアジア経済の成長がもつ意味は大きい。現に、東・東南アジア諸国は高い経済パフォーマンスを示し、なかでも中国の成長には目を見張るものがある。アジアは今や世界の貧困地域から、世界の成長のエンジンになっている。

  これらのことを前提しながらなお、あるいはだからこそ、著者はグローバリゼーションの本質がアメリカの矛盾の他国への押しつけであること(p.30)、日本が今後とも経済発展をしていくためには、自国の利益ばかり考えるのではなく、途上国に対しても責任ある姿勢を示さなければならないこと(p.67)、しかし心配なのは日本の政治状況の体たらくであり、このままではジャパンナッシングに下降しかねないこと(p.170)など、重要なポイントを列挙している。


   個人的には、日本のサブカルチャーの問題点と可能性を論じた第7章「アジアに浸透するジャパナイゼーション」、日本の観光産業の位置づけと可能性を論じた第8章「観光産業から見たアジアと日本」が興味深かった。

   第11章では、領土問題についての言及があり、北方領土問題、竹島・尖閣諸島問題がとりあげられ、タイムリーである。わたしはこのなかでは、かつて北方領土問題についていろいろ調べたことがあるが、11章では日本政府の「公式見解」の紹介があるものの、サンフランシスコ条約2条C項で当時の政府がクリルアイランズを放棄したことについて触れられていないこと、ヤルタ協定やカイロ宣言、日ソ平和条約締結(現状では未締結)の意義についての言及もないことなどがやや不満であった。


加山雄三コンサート・ツァー(於:茅ヶ崎市民会館)

2012-10-05 00:09:51 | 音楽/CDの紹介

            

 地井武男さんの「ちい散歩」をひきついだ「悠々散歩」で快調な加山雄三さんが、本業の歌のほうで全国ツアーを開始した。スタートは、自身が育った茅ヶ崎で。


 「オレ達だって若大将」がテーマ、まず開演から加山さんと観客との合唱が数曲。なじみ深い歌ばかりで、これで場内は一気に盛り上がり、想いは一気に1970年代へ。「君といつまでも」などなど。

 最初からスタンディングである。とくに前列のほうは、ファンクラブのメンバーであろうか、ライトを左右に揺らすもの、リズムをとっていまにも踊りそうな面々が目立つ。(わたしの席は17列13番)


 一段落して、加山さんが歌謡曲の世界に入ったきっかけとなったエルビス・プレスリーの曲が披露される。またエルビスのレコードのB面の曲が続く。エルビスのレコードのA面は日本語に翻訳されて歌われたが、その歌詞がダサイと感じた加山さんはB面を英語でそのまま歌うことにしたのだそうだ。

 そして自身が作曲して、本人も忘れていたという「知る人ぞ知る」作品を数曲。

  後半、加山さんは会場の後方入口扉から、意表をついて歌いながら入場。たちまち人だかりができ、握手をもとめるお客さんたち。凄い人気だ。人の群れをかき分けながらステージに。

 「旅人」などの懐メロ、そしてTV番組の「悠々散歩」のために、さだまさしさんが作詞した「逍遙歌」を合唱。加山さんは、全部で33曲も歌ってくれた。


 75歳というが、とにかく若い。声量がある。若いころの声は明るく、ふわっとしたところがあったが(やや単調なところも)、年齢を重ねて声に厚みがあり、魂の歌声になっていた。年輪を感じさせた。ただの歌い手ではなく、ホンモノの歌手だ。

 実はこの日(9月30日[日曜])、台風17号が接近し、コンサート最中、関東圏は雨と風のピーク時であった。朝からテレビでは、関東圏が6時ころから大荒れになると報道していたので、コンサートが開催されるのか不安だった。しかし、コンサートは無事に終了(ところどころ、天候で諦めたのかもしれない空席。それでも1300人ぐらいの人が入ったようである)。

 会館をでると突風が凄い。雨は横なぐりだった。コンビニで買っておいたビニールの傘は強風にあおられて破損。これも購入しておいたポンチョを、頭から被って茅ヶ崎駅へ。駅に着くと東海道線は止まっていた。動く見通しはないと言う。
 小田急が動いているとの情報を得て、茅ヶ崎から藤沢までタクシー、そこから小田急に乗れたのはよかったが、各駅停車で、ときどき風の状態をみはからいながらの徐行運転。ほうほうの体で、帰宅した。

 加山さんのコンサートは、わたしが住む地域にも新春にくることがわかった。もう一度、楽しみたい。


開高健記念館(茅ヶ崎市東海岸)

2012-10-04 00:18:58 | 文学

             

 開高健は、大江健三郎、石原慎太郎とともに、1960年代、
新しい時代を担う文学界の若手旗手と称された作家である。その頃、わたしは大江健三郎にかぶれていて、開高健の小説は『裸の王様』(芥川賞)、石原慎太郎のそれは『太陽の季節』(芥川賞)を読んだ程度だった。慎太郎は好きになれなかったが、開高健には親近感をもっていた。『輝ける闇』は注目していたのだが、ついに読むことなく、今日まできてしまった。

 その開高健の記念館は茅ヶ崎にある。知らなかったが、ある情報誌で偶然に知ったので、そこを訪れた。茅ヶ崎駅南口を出て、歩くと30分ほど。ラチエ通りに面している。開高健が晩年に暮らしていた住居がそのまま記念館になっている。

 毎週、金曜日から日曜日まで開館。しっかりした門扉があり、小さな階段を上がると、左手すぐ記念館がある。個人の住宅だったところだから、それほど大きくない。しかし、なかに入ると開高健の大きな人生がつまっている。数々の写真、書籍、自筆原稿、ベトナム戦争従軍のさいにかぶっていたヘルメットを含む遺品、釣りで使うルア。開高健が、そこにいるような充実感だ。

 NHKの「あの人に会いたい」という番組があったが、その番組に開高健が登場したビデオが放映されていた。小説家としての活動、釣り、ベトナム戦争従軍について、在りし日の開高健がインタビューに応えている。ふっくらした童顔、その開高健が熱く、自らを語っている。

 お酒が好きだった人で、上記のインタビューでもワインを飲みながらのようだ。また、開高健はサントリーウィスキーの広告にコピーを書いていた、ように記憶している。


 奥に書斎がある。入ることはできないが、雰囲気をながめることができる。

 山形、沖縄、北海道から、訪問者はひきもきらず絶えないとか。

 


トレーシー・シュバァリエ/木下哲夫『貴婦人と一角獣』白水社、2005年

2012-10-03 00:01:45 | 小説

                      

  パリに国立中世美術館がある。ここに「貴婦人と一角獣」という有名な6枚のタピストリーが展示され、それぞれはテーマももっている。「視覚」「聴覚」「味覚」「臭覚」「触角」「私のただひとつの望みに」。


  このタピストリーは誰によって、どのような目的で製作されたかはほとんど不明のようだが、ル・ヴィスト家の人間によって、およそ15世紀末に織られたと推定されている。当時、一族の紋章を公にする権限をもっていたのは、ジャン・ル・ヴィストだけだったらしく、そこから、タピストリーの委託者がこの人間だったと推測されているようだ。

  製作の時期は、貴婦人が身につけている服装、織りの技法からの推定である。相当の費用と製作時間を要したが、タピストリーはル・ヴィスト家に長くは留まらなかったようで、娘クロードの死とともに再婚相手の相続人の手に渡り、その後、1660年後にはフランス中部のブーサック城に掲げられていたらしい。

  タピストリーは1844年、史跡検査官プロスペル・メリメによって発見され、さらにジョルジュ・サンドがこのタピストリーに関する記事、小説を著し、擁護者となった。1882年にフランス政府が購入、現在の中世美術館に所蔵させた。このように数奇な運命とともにある6枚のタピストリーの製作にまつわる経緯を、小説にしたてたのが本書である。

  国王の廷臣であるジャン・ル・ヴィストがレオンという人間をとおしてニコラ・デジノサンという細密画の絵描きに図案を作らせ、それをブリュッセルのジョルジュというタピストリー作成者の工房で原画からタピストリー用の下絵をつくらせ、完成させるまでの経過を描いた作品である。骨組みは現在わかっている範囲での史実によりながら、肉付の部分はフィクションで装飾されている。

  主人公は原画を描いたニコラ・デジノサン。ル・ヴィスト、その妻ジュヌヴィエーヌ・ド・ナンテール、娘のクロード・ル・ヴィスト、ジャンヌ、使用人のベアトリスなどパリのル・ヴィスト家と対置されるのがブリュッセルで工房を経営するジョルジュ・ド・ラ・シャペル、その妻デュ・サブロン・クリスティーヌ、娘のマドレーヌ、下絵描きのフィリップ、職人のリュック、ジョゼフ、トマたちである。話はこれらの人々のなかの主だったものの一人称形式の述懐で展開されているところに特徴がある。

  製作現場の人間模様が、ニコライ・デジノサンの女性遍歴(マリー・セレスト、クロード、アリエノール、ベアトリス)に重きをおきながら綴られているところに興味がそそられた。中世のこの地域の人々の生活の様子、人間関係の妙味、パリ、ブリュッセルの街の雰囲気など、描写は細かく、味わい深い。

  なお、「一角獣(ユニコーン)」は中世・近世の美術に登場する架空の動物で、インドに生息し、額に大きな角があり、これは蛇などの毒に汚された水を清めるとの伝えがある。姿は馬に似ている。性質は荒々しいが、処女の懐に抱かれるとおとなしくなるところから、純潔の象徴とされた。


佐々木隆治『マルクスの物象化論-資本主義批判としての素材の思想-』社会評論社、2009年

2012-10-02 00:29:34 | 経済/経営

              

   この本はマルクスの物象化論の理論的核心とその意義を解明するために書かれた。著者はマルクスの物象化はしばしば人間の認識が歪められ、事態が隠蔽されることだとされるが(「物象の社会的属性を物じしんの属性として錯覚する」)、この規定は事柄の一面であり、マルクスが問題の焦点としたのは、そのように現象するところの「本質」のあり方であり、それがいかなる人間のふるまい、より正確には人間相互の関わりによって成立するかであった、とする。


   この視点に立って、著者は物象化を認識論的錯視ととる見解(廣松渉)、所有論を基礎として物象化理解、市民社会論的マルクス理解(平田清明)を批判する。著者の立場はマルクスが課題とした経済学批判、哲学批判の精神を継承し、イデオロギーや現象形態の成立を諸個人の関わりによって形成された実践的諸関係から明らかにする「新しい唯物論」(観念論と対置される唯物論ではない)である。

   この観点から著者は、価値形態論「商品語」の解釈、3つの次元からなる物象化の構造、疎外と物象化の概念的相異、全面的商品交換社会のもとで私的労働が物象化を生み出す客観的契機、物象化こそが商品の物神的性格の秘密であること、価値が主体化し、過程の主体となる経緯、資本が素材的世界(全般的開発の体系、有用性の体系)を編成するプロセス、資本のもとへの労働の形態的包摂と素材的編成および資本のもとへの労働の実質的包摂と素材的論理の変容の解明(協業、マニュファクチュア、大工業)、資本が素材的世界を編成し価値の論理と素材の論理との軋轢を引き出す事態、などを順次論理展開していく。

   論理展開では、抽象的人間労働の理解がキー概念になっている。著者によれば、抽象的人間労働概念の議論は物象化を前提とし(抽象的人間労働という労働の一契機が独自の社会的意義を獲得するのは物象化された社会においてのみである)、素材的契機を含み、価値と素材との連関の結び目である。当該分野では従来、多くの錯綜した内外の議論、論争があるが、著者はそれらを手際よく裁きつつ、MEGAも有効に活用して、自説を展開している。


佐々木隆治『私たちはなぜ働くのか』旬報社、2012年

2012-10-01 00:09:42 | 経済/経営

             

  著者自身の大著『マルクスの物象化論』をベースに、若い労働者、学生に向けて書かれた『資本論』入門のテキスト。


  現代社会が資本主義社会であり、そこで働く労働者は生活のために自発的に雇われて働かざるをえない、賃労働者としてしか自らのアイデンティティを示し得ない、過酷な労働をなぜあえて選択せざるをえないのか、それを可能にしている条件は何なのか、それらを解明することが本書の目的だという。

  「資本論」の概説的な特徴は否めないが、著者は資本主義生産様式が全面的な商品交換社会であり、この社会では私的労働が直接社会的労働たりえず、商品交換をつうじてしかそれを実証しえないとし、物象化の力がこの社会を支配し、成立させていることを自説としてもっているので、そこに力点をおいて議論展開を行っている。

  議論はおおむね次のように進んでいく。商品=貨幣関係論、価値論、剰余価値生産、賃労働と資本、自己増殖する価値として資本、生産手段によって支配される労働者、労働時間の延長、協業、マニュファクチュア、機械制制大工業、資本による物質代謝の攪乱、物象の力を弱める労働者の振る舞い方(労働の社会的形態の変更、アソシエートを通じた労働者の生産手段との結びつきの回復、労働時間の短縮、生産の私的性格を弱める活動、生産手段に対する従属的な関わりの変更)。

  現代社会の困難な実情を見据えつつ、変革の展望をみとおしつつ理論が進められいることに好感がもてる問題提起の書。