【岩崎俊夫BLOG】社会統計学論文ARCHIVES

社会統計学分野の旧い論文の要約が日課です。

時々、読書、旅、散策、映画・音楽等の鑑賞、料理とお酒で一息つきます。

奇跡の秋(京都紀行② 東福寺)

2011-12-02 00:18:28 | 旅行/温泉

              
 東福寺は、京都駅からJR奈良線を使い「東福寺」駅下車、徒歩10分程です(帰路は京阪電車「鳥羽街道」駅を使い「東福寺」で奈良線に乗り換え「京都」駅へ)。いい陽気、そして青空のもと、広大な面積をほこるお寺に入りました。

 本堂(仏殿)[昭和9年築の重層入母屋造の大建築]、三門(室町初期に再建されたもの)、禅堂(1347年再建。わが国最古最大の中世から遺る坐禅道場)、東司(わが国最古の遺構)、六波羅門(六波羅探題の遺構移築されたもの)、五社成就宮とまわりました。そして通天橋(方丈と開山堂を結んでかかる)をわたって、普門院のほうへ。通天橋があり、紅葉の名所として知られています。
        
 方丈の「八相の庭」は有名です。方丈は明治23年に再建されました。ここには、東西南北に四庭が配された「八相成道」(釈迦の生涯の八つの重要な出来事)に因む「八相の庭」(昭和の名作庭家、重盛三玲の作)があります。鎌倉時代庭園の質実剛健さとともに、現代芸術の抽象的個性が取り入れられ、ユニークな禅宗庭園です。
 南庭は広さ210坪の枯山水です。「蓬莱」「方丈」「州(えいじゅう)」「壷梁(こりょう)」と呼ばれる4つの島が長石を基軸に配され、渦巻く砂の紋によって八海が示されています。
 北庭にはウスマギゴケの緑との対比も色鮮やか市松模様の敷石がユニークです。サツキの丸刈りとの調和がいいいです。
              
 

        
 東福寺の創設は古く鎌倉時代までさかのぼります。ときの摂政関白、藤原道家が南部東大寺と興福寺から「東」と「福」の字をとり、九条家の菩提寺として造営しました。

 開山には聖一国司を仰ぎ、当初は天台宗、真言宗、禅宗の三宗兼学として壮大な堂塔伽藍は配置されていましたが、鎌倉時代末期の相次ぐ火災で、ほとんどが焼失してしまいました。その復興の手が加えられ、1347年、前関白一条経道により仏殿が再建され、京都五山のひとつにふさわしい禅宗寺院として偉容を取り戻しました。

 その後は、足利、豊臣、徳川家によって保護修理が加えられ、奇跡的に都の兵火をのがれ、中世以来の堂塔伽藍を継承しています。明治14年、方丈、仏殿、法堂などを全焼失しましたが、再び再建されました。 

 


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