日本の春は桜とともに来て、桜とともにある。その桜は、いまではほとんどがソメイヨシノである。その桜、ソメイヨシノにまつわる桜物語の真偽、淵源、意味を問い、論じた本がこれだ。
ソメイヨシノは幕末から明治にかけてできた桜の品種で(染井村[現在の駒込]のあたり)、品種として同定されたのは明治23年、正式な命名は明治34年という(p.50)。ソメイヨシノは、エドヒガンサクラとオオシマサクラを交配してつくられた人工の桜(クローン)、種から育てられるのではなく、接木、挿木による。比較的促成で(10年ほど)見栄えがする花をつける。
東京では明治10年代から流行し、20年代に各所の公園整備に使われるようになった。その頃から東京近辺の園芸産地では苗木が大量に栽培されたと推測される(p.102)。日露戦争後、忠魂碑や記念公園の造成は数多かったが、そこを何かの樹木で飾ろうとするとソメイヨシノが優先的に受容された。関連して、景観整備に便利であるという理由から、急速に日本全国に広まった。
ソメイヨシノは群生で愉しめる。また開花から散るまでが一週間から10日間程度。ソメイヨシノのこのような性質から、さまざまな思惑がこの花に託され、またいろいろなあまり根拠のない言説が伝えられた。たとえば、ソメイヨシノが日本人としての一体感、アイデンティティ、ナショナリティの象徴とされたり、散り際のはかなさが日本人の心情と結び付けられたりした。これらの桜物語は、いわば後知恵であり、意図的につくられた言説である。
日本人がサクラを愛でたのは確かに古い。江戸のはるか前から日本人はサクラに強い関心がった。しかし、それはソメイヨシノではなく、他の品種であり、したがって群生でなかったし、いろいろなサクラを次々に愉しみ、その時期は比較的長期にわたった(一か月程度)。と考えると、ソメイヨシノ一色で染まる短い開花の時期とそれにともなう日本人の桜に対して現在ある固定観念は、せいぜいこの100年ほどの間にできあがったもの、ということになる。
著者は近代の幕開けとともに登場したソメイヨシノに対して日本人がもった観念の不思議さ、曖昧さ、異常さ、不気味さを解きほぐし、現実の桜と作り上げられた桜のイメージとの間を行き来し、そこから派生してくる「日本」の姿を批判的に考察している。
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