【岩崎俊夫BLOG】社会統計学論文ARCHIVES

社会統計学分野の旧い論文の要約が日課です。

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フランソワ・トリュフォー監督「大人は判ってくれない(Les Quatre Cents Coups) 」(フランス、1959年)

2017-07-13 15:18:38 | 映画

                 

   原題は直訳では「四百の殴打」であるが、むしろ「悪さ」といったニュアンスの言葉である。1950年代後半にフランスに起きたヌーベルバーグ(新しい波)の記念碑的作品。

 12歳の少年アントワーヌ・ドワエル(ジャン・ピエール・レオー)は狭いアパートで邪険な母(クレール・モリエ)と継父(アルベール・レミー)との三人暮らし。幼かった頃、アントワーヌは両親の喧嘩から彼が未婚の母親の子で、母が中絶するかどうかで祖母と口論になり、祖母の口添えで生まれたとの事実を知っていた。生まれてこの祖母のもとに里子にだされた彼は八歳の時に両親のもとに引き取られたが、親は子育てに関心がなく、つまらないことで始終子どもを叱った。家は貧しく、生活はがさつであった。夫婦の口論も絶えなかった。おまけに母親には男がいるようで、帰宅は残業と称して遅い。父親とアントワーヌの二人での夕食というのも稀でなかった。アントワーヌは、心にいろいろな傷を持った子どもであった。

 学校では彼は、教師に目をつけられていた。授業中、運悪くアントワーヌのところに裸の女性の絵がまわってきたところを見つかり、立たされる。学校は面白くなかった、彼は友だちに誘われ、父母にだまって学校をさぼった。遊ぶ場所は、ゲーム・センター。途中、街角で男とキスをしている母を見た。昼食代を使って遊び、学校へは嘘の欠席届ですませようとするが、「休んだ理由は、おおげさなほどいい」と悪友にすすめられ、教師には「母が死にました」と言い逃れをした。ところが、友だちが家まで欠席をつげに来たので、父母は学校に出掛け、アントワーヌの嘘はばれ、教師に大目玉をくらった。彼は両親とは暮らせない、自分一人で生きていこうと家出を決意し、「お父さん、お母さん、嘘をつきました。もう、一緒に暮らせません。だから、ぼくは一人でがんばります。一人前になったら、話し合いましょう」と置き手紙を書いた。友だちの叔父さんの印刷工場で一夜を明かし、牛乳を盗んで飢えをしのいだ。

 家出をしていても学校には出ていたアントワーヌを母親がむかえに来た。「行儀が悪くて、成績も悪い」と反省する息子に母はこの時ばかりは、優しく、自分の子ども時代の話しをしてきかせ、「父親が出世できないのは学校を出ていないからだから、作文でがんばるよう」に言い聞かせた。少年は作文で努力し、作家バルザックの写真の前にローソクの火をともすが、運悪くカーテンに引火し、またしても叱られることとなった。アントワーヌは再び家出をし、友だちのところに居候。金がなくなると父の会社からタイプライターを盗んで質屋に売ろうとしたがうまくいかない、タイプを返しに戻ったところで捕まり、警察に補導されてしまった。アントワーヌは少年審判所から、ついには少年鑑別所へ。ここで、アントワーヌはサッカーに興じている最中に、海辺へ向かって脱走を試みた。

 何気ない大人の言動が知らず知らずに子どもの心を傷つけ、寂しさに閉じ込めていくことをこの映画は、訴えている。警察から護送車で少年審判所に送られるとき、アントワーヌは夜の街の様子をじっとながめているが、何とも言えずやるせない顔が印象的である。また、最後の脱走のシーン、夢中で走って逃げて海岸まで来るが、そこでアントワーヌの顔がストップモーションで大写しになる。その眼差しは寂しげであり、心の空白を訴えているようであり、何かを求めてすがるようでもある。アントワーヌ少年の多感な心情がみずみずしく詩的に引き出され、印象に残る映画である。トリュフォー監督自身の少年時代を想起させる内容の映画と言われる。第12回(1959年)カンヌ映画祭監督賞


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