【岩崎俊夫BLOG】社会統計学論文ARCHIVES

社会統計学分野の旧い論文の要約が日課です。

時々、読書、旅、散策、映画・音楽等の鑑賞、料理とお酒で一息つきます。

川崎賢子『宝塚というユートピア』岩波新書、2005年

2012-12-18 00:22:23 | 演劇/バレエ/ミュージカル

            

   昨日の記事に書いた宝塚歌劇鑑賞のあとに、この本を読む。宝塚歌劇とはいったい何なのか?


  宝塚歌劇の魅力を論じた本。叙述(言い回し?)がやや難解なところがある。宝塚歌劇団とは何かをてっとりばやく理解するには、「第5章 宝塚というシステム」を読むのがよい。この章はそれ以前の章とのつながりがなく独立していて、またこの章だけ文章がわかりやすい。

  さて宝塚歌劇団であるが、この歌劇団は箕面市有馬電気道株式会社(現阪急電鉄)の小林一三が1913年に梅田発宝塚終点の私鉄沿線の乗客掘り起こし政策の一環として構想し、1914年に第一回公演を立ち上げた。少女ばかりの20人の唱歌隊だった。以来、2004年の創立90周年までに舞台にのぼった生徒の数は4000人を超える。

  公演には宝塚音楽学校を卒業した未婚の女性に限られ、男性の役を演じる「男役」と女性の役を演じる「娘役」がいて、独特の表現様式が構築されている。本書では、小林一三の構想にあったイギリス流「田園都市」構想理念、1910年代に華々しく展開された女性論の背景、20年代の大劇場建設(「国民劇」構想)とレビューの登場(「モン・パリ」でのレビュー路線の導入)、30年代におけるスター・システムの導入と男役・娘役の分化、40年代の戦時下占領下の雌伏と女性客の増加、50年代以降のスター育成のさまざまな段階のイベント化、60年代のミュージカル路線の定着、70年代のタカラズカジェンヌとしての<私>のメディア化(「ベルサイユのバラ」ブーム)、近年のファン活動のイベント化の歴史を丁寧に解説している。

  初期に岸田辰彌、益田太郎冠者、白井鐵造らが主としてヨーロッパに渡り、舞台づくりが模索されたことは特筆されるべきであり、現在の公演形式が固まるまでには幾多の変遷があったことはおさえておくべきである。

  いまの劇団のかたちは、簡単にまとめると次のようになる。まず体制が5組(花・月・雪・宙・星)、各組に80人ほどの演技者、組長、副組長がいる。メンバーは宝塚音楽学校の卒業生。各組に所属しない上級生の「専科」がある。歌劇団スタッフは、演技者の他に、作家・演出家、音楽家、振付、衣裳、美術、大道具・小道具、照明、運営、製作、営業の係員も自前である。ファンも独特の役割をもつ。

  宝塚歌劇はレビュー(大きな舞台空間を埋め、多くの観客にアピールする踊りと歌のスペクトル)を特徴とするが、そのレビューについて、著者はこう述べている。「『西洋物』と『東洋のものを西洋風に』演出したものを陳列し展示する『世界』だが、その『源流』はじつはどこにもない。不在の感覚は、遅れて近代化した地域のひとびとの『故郷喪失』の心性に即応し、共振するものである。ノスタルジアの実体的な対象にたどりつくことのできないまなざしは、ユートピア幻想へと折り返される。重要なのは、宝塚レビューの作り手たちが、その仕組みを熟知して大衆を誘惑しつづけたことだろう」と(p.65)。


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