文化大革命の混乱冷めやらぬ、1978年7月の北京。
フランスから北京大学に留学生していた“私”は、ハリウッド映画『ラストエンペラー』に関する会議に通訳として雇われていた。
そこで私が出会ったのは『西太后秘話』の著者である唐黎教授。その数ヶ月前、小印度という通りでトゥムシュクという八百屋の青年と出会った私は、彼から借りてその著作を読んでいた。そこに書かれており、また教授から聞いたのは、ある聖遺物を巡る物語。
歴代の皇帝が所有していたその巻物は、死語となった古代語・トゥムシュク語で書かれた仏典。徽宗の蒐集品のなかで二番目の宝だと言われたそれは、飛行機に乗せられ錯乱した溥儀が、真っ二つに切り裂き遺棄されて以来、完全な形で目にした者はいないという。
その仏典について研究していたフランス人の東洋学者ポール・ダンペールが、トゥムシュクの父。しかしある罪により投獄され、無期懲役に科せられていた。
やがてトゥムシュクと恋人同士となった私だったが、その後に起きた悲劇により、彼は私を置いたまま失踪。
その悲しみを引きずりながらも、その後さまざまな遍歴を経てゆく私だったが……
フランス人女子留学生だった“私”と、混血の八百屋の青年・トゥムシュクの悲しい恋。そして失われた古語で記された仏典をめぐる物語。
はからずも別れることになった二人の思いが切ないです。
『バルザックの小さな中国のお針子』の馬が、トゥムシュクの小学校時代の友人としてちらりと絡んでくるところに、にやりとしたり。
<10/6/5,6>