117)塩酸イリノテカンの下痢を予防する半夏瀉心湯

 図:塩酸イリノテカン(CPT11)はプロドラッグであり、まず体内で肝臓に存在するカルボキシルエステラーゼによって強力な抗がん作用をもったSN-38に代謝されて全身に運ばれる(①)。肝臓内で生成したSN-38は同じく肝臓に存在するグルクロン酸抱合酵素(UDP-グルクロン酸転移酵素)によってグルクロン酸抱合され(②)、胆汁を経て腸管に排泄される(③)。この時点でSN-38は不活化されていて障害作用は有さない。しかし、胆汁から腸管内に移行したSN-38のグルクロン酸抱合体は腸内細菌のβ-グルクロニダーゼによって分解され(④)、再び活性型のSN-38が大腸内で生成される(⑤)。この大腸内で生成されたSN-38が大腸の粘膜上皮細胞を障害して下痢を発症する。
半夏瀉心湯に含まれる黄芩(オウゴン)のフラボノイド配糖体は腸内細菌のβ-グルコロニダーゼ活性を阻害する(⑥)。その結果、大腸内における活性型SN-38の生成が抑制され、薬剤の効果を弱めることなく下痢が予防される。

117)塩酸イリノテカンの下痢を予防する半夏瀉心湯

【半夏瀉心湯と塩酸イリノテカン】
半夏瀉心湯(はんげしゃしんとう)は半夏(はんげ)・黄芩(おうごん)・乾姜(かんきょう)・人参(にんじん)・甘草(かんぞう)・大棗(たいそう)・黄連(おうれん)の7種の生薬から構成され、下痢や悪心・嘔吐などの治療に用いられる漢方薬です。補益作用のある人参・甘草・大棗に、抗炎症作用を持つ黄ごん・黄連と消化管機能改善作用のある半夏・乾姜を組み合わせることにより、胃腸粘膜の炎症を緩和し、粘膜のダメージの回復を早めます。
塩酸イリノテカン(CPT-11、商品名;トポテシンまたはカンプト)はDNAトポイソメラーゼを阻害して強い抗がん活性を示しますが、副作用として重篤な下痢があります。
これは塩酸イリノテカンの活性体が肝臓でグルクロン酸抱合を受けて胆汁経由で腸管に排泄された後、腸内細菌のβ-グルクロニダーゼによって脱抱合される結果、活性型代謝産物が再生成され、これが腸管粘膜を損傷して下痢が引き起こされると考えられています(下図)。

 図:イリノテカン(CPT-11)は体内でカルボキシルエステラーゼによって7-エチル-10-ヒドロキシカンプトテシン(SN-38)に代謝され、I型DNAトポイソメラーゼを阻害することで抗がん作用を発現する。SN-38は肝臓においてUDP-グルクロン酸転移酵素(UDP-glucuronyltransferase; UGT)の分子種の一つであるUGT1A1によってグルクロン酸抱合体(SN-38-Glu)として胆汁中に排泄される。SN-38が肝臓でグルクロン酸抱合を受けて胆汁経由で腸管に排泄された後、腸内細菌のβ-グルクロニダーゼによって脱抱合される結果、活性型代謝産物(SN-38)が再生成され、これが腸管粘膜を損傷して遅発性下痢が引き起こされる。

黄芩(シソ科のコガネバナの根)に含まれるフラボノイド配糖体のバイカリンには、β-グルクロニダーゼを阻害する活性があるため、活性型の腸管での再生成を抑え、塩酸イリノテカンの下痢を抑制する可能性が推測され、黄芩を含んでいてしかも下痢に使用される漢方薬である半夏瀉心湯が試されました。
その結果、
塩酸イリノテカンの投与2~3日前から半夏瀉心湯エキス剤を投与したところ、下痢の予防あるいは軽減効果があることが動物実験やヒトの臨床試験で示されました。この際、抗腫瘍効果には影響しないことが確認されています。
塩酸イリノテカンとシスプラチンの抗がん剤治療を受けた進行した非小細胞性肺がん患者41例を対象に、半夏瀉心湯のエキス顆粒製剤(TJ-14)の投与を受けた18例とコントロール群23例に分けて、下痢の程度を比較した臨床試験の結果が栃木がんセンターの研究グループから報告されています。41例中39例で下痢が見られ、下痢の頻度や期間においては、TJ-14投与群と非投与群(コントロール群)との間に差は認められませんでしたが、
グレード3と4の強い下痢の頻度はTJ-14の投与群の方が少なかったと報告されています。(Cancer Chemother Pharmacol. 51: 403-406, 2003)
塩酸イリノテカンに対する下痢の予防効果が、単にフラボノイド配糖体によるβ-グルクロニダーゼ阻害が唯一の作用機序であるなら、漢方方剤でなく、黄芩やフラボノイド配糖体の単独投与でも効果がありそうです。しかし、
半夏瀉心湯に含まれる他の生薬の総合的な作用がより効果を高めているのです。つまり、半夏瀉心湯には腸管内プロスタグランジンE2の増加を抑制し、障害された腸管粘膜の修復を促進し、さらに腸管の水分吸収能を改善する効果も報告されています。単一の成分より複数の生薬の相乗効果を利用して効果を高める点が漢方薬の特徴です。
塩酸イリノテカン誘発の下痢に対しては、塩酸ロペラミドがしばしば投与されますが、同剤に無効な場合も半夏瀉心湯が著効を示すことが多く、
塩酸イリノテカンの使用にあたっては半夏瀉心湯の予防的内服が勧められています

【下痢の原因によって生薬を使い分ける】
下痢はがん治療中にしばしばみられます。抗がん剤治療では消化管粘膜のダメージによって消化吸収が障害され、消化管手術の後では消化管の切除や再建による消化管運動の異常が下痢の原因となります。抵抗力が低下していると病原菌による胃腸炎が起こりやすくなり、抗生物質を使うと腸内細菌の変化によって下痢が起こることがあります。
下痢の治療では西洋薬の治療に加えて漢方薬を併用すると効果が高まることがあります。
昔から胃腸虚弱による下痢や感染性下痢には漢方薬が使われており、西洋薬にない効果もあるからです
胃腸内に水分が停滞して水様性下痢を起こしているときには、
白朮(オケラやオオバナオケラの根茎)・蒼朮(ホソバオケラやシナオケラの根茎)・茯苓(マツホドの菌核)・猪苓(チョレイマイタケの菌核)・沢瀉(サジオモダカの塊茎)などの健脾利水薬(胃腸の働きを高めて余分な水分を排出する薬)が使われます。
胃腸の働きが弱っている慢性下痢には、
大棗(ナツメの果実)・山薬(ナガイモの根茎)・蓮肉(ハスの果実)のような食品としても利用されている健脾薬を併用します。漢方医学でいう「脾」は栄養物の消化吸収という消化器系全体の働きを統一的にとらえた概念です。脾の機能低下を脾虚と言い胃腸虚弱に近い概念で、脾虚を改善する生薬を健脾薬と言います。
体力や抵抗力の低下が強いときには
高麗人参黄耆のような補気薬(生命エネルギーである気の量を増す生薬)を併用し、冷えが下痢を悪化させている場合には附子・乾姜など体を温める補陽薬を使用します。感染性の下痢や出血を伴うときにはベルベリンを含む黄連・黄柏を用い、消化管運動が亢進して腹痛が強いときには芍薬を配合します。芍薬はボタン科のシャクヤクの根で、主成分のペオニフロリンには、腸管平滑筋の痙攣を緩和し、過剰になった腸の蠕動運動を鎮める効果があります。

【下痢に使われる漢方薬】
急性の水様性下痢で、胃腸内に過剰な水分が存在する場合(水滞)には利水剤の
五苓散を用います。五苓散は利水薬の白朮(または蒼朮)・茯苓・猪苓・沢瀉に桂皮(クスノキ科のニッケイ類の樹皮)の5つから構成される漢方薬です。桂皮は血行促進作用によって利水の効果を高める目的があります。
慢性的な下痢の場合には消化吸収機能自体の低下があるため、胃腸の虚弱状態を改善することが大切です。
六君子湯(人参・白朮または蒼朮・茯苓・甘草・生姜・大棗・半夏・陳皮)、啓脾湯(白朮または蒼朮・茯苓・人参・甘草・沢瀉・陳皮・山査子・山薬・蓮肉)、補中益気湯(人参・黄耆・白朮または蒼朮・甘草・大棗・陳皮・生姜・柴胡・升麻・当帰)のように、補気薬、健脾薬、利水薬をバランスよく組み合わせた漢方薬が使用されます。
胃腸虚弱と体の冷えが強い場合は、
人参湯(人参・白朮または蒼朮・甘草・乾姜)や真武湯(附子・生姜・白朮または蒼朮・茯苓・芍薬)のように補陽作用(体を温める)を持つ乾姜附子を併用した処方を使います。
腹がゴロゴロ鳴り、下痢と嘔吐があって上腹部の圧痛がある場合には
半夏瀉心湯が使われます。前述のように、半夏瀉心湯は抗がん剤の塩酸イリノテカンによる下痢を緩和する効果が報告されています。
このように、がん患者における下痢には、原因に応じて漢方薬を使い分けることによって効果的な治療が行えるのが漢方治療の強みです。
(文責:福田一典)

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