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中島けんです。新しい映画や舞台の感想を中心に、大映の思い出、海外旅行・地元の話題などを写真付きで書かせていただきます。

大映宣伝部・番外編の番外 (54) 若山富三郎さん、「大映では 城 健三朗さん」

2015年03月09日 | 日記

         

  

  

  

     若山富三郎さん、大映時代は城健三朗さん。どうしようかと少々考えたので
     すが、なんと言っても勝ちゃんの実兄であり、5年近く大映にも在籍してユニ
     ークな活動をした人ですからアップすることにしました。

     彼は勝ちゃんよりも2年早い昭和4年(1929)の生れで長唄三味線の杵屋勝東
     治の長男坊です。長唄の修業をおろそかにするは、学校も大嫌いだった彼は
     柔道に熱中して柔道5段の腕前。昭和29年に新東宝から乞われて映画界入
     り、「人形佐吉捕り物帳」などで活躍しますが、5年足らずで新東宝が傾いて
     昭和34年に東映へ一度移籍して活躍の場を変えます。

     昭和37年には、大映での存在が大きくなっていた勝の斡旋で大映に移籍して
     来ます。
     大映では芸名を城健三朗と変え、「続・座頭市物語」「忍びの者」「抜打ち鴉」
     「新撰組始末記」「舞妓と暗殺者」「妖僧」「続・忍びの者」「眠狂四郎殺法帳」
     「座頭市千両首」「忍びの者 霧隠才蔵」「眠狂四郎女妖剣」「処女が見た」など
     20本を上回る出演作品がありますが、主演は白黒作品の「抜打ち鴉」の1本
     のみです。

     お芝居は上手いし、殺陣をやらせばそれこそ日本一の腕前を持つ彼ですか
     ら、勝ちゃんや雷ちゃんとの立ち回りは凄いと評判になりましたが、主演作品
     を当てがわれない彼なりの不満は大いにあったようで、撮影所でのトラブル
     はいつものこと、かっとなったら手が出る癖は相変わらずだったようです。

     もう一つは女性問題。昭和38年に大映女優・藤原礼子と結婚し男の子が誕
     生、ところが昭和40年には離婚し、さすがの大映も半ばあきれて約1年間、
     彼を仕事から干します。
     ところが昭和41年には久しぶりに出演した「処女は見た」で、主演の安田道
     代と仲が良くなってしまい、所内の大顰蹙を買うのです。そしてその年に大
     映を出た彼は、再び若山富三郎となり東映へ戻ることになるのです。

     仕事以外の日常についてあまり言いたくないのですが、あれだけの俳優さん
     を止めなかった京都撮影所は、よくよくのことだったようです。
     でも東映の水は若山さんにとって良く合ったのでしょう、東映での活躍と、聞
     いたら驚くような撮影所での所業は、むしろ漫談的な話しとなって我々の耳
     に入って来ましたが、それでも最後まで東映で活躍したのですから立派な事
     だと思います。

     更に東映以外でもテレビ・演劇、ミュージカルまでも器用にこなしているし、
     勝プロで製作した映画「子連れ狼シリーズ」は、彼の代表作と言えましょう。
     勝ちゃんのことと思い合わせて、この兄にしてこの弟ありです。無類の愛煙
     家ではありましたが、勝ちゃんと違って酒はたしなまず、大の甘党だったこ
     とも語り草ですが、平成4年4月2日に勝ちゃん、玉緒ちゃん、清川虹子さ
     んと麻雀をやっている最中に倒れ、帰らぬ人となりました。62歳、急性心不
     全でした。葬儀の際に、勝ちゃんが富三郎さんの遺骨を食べながら泣いた
     話も有名です。


       *おまけ*
     
     ↑昨日、久留米市草野町吉木の「河津桜」を観てきました。



       
     


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10 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
中島様 (タム親父)
2015-03-09 09:55:39
こんにちは。

先日「新撰組始末記」のことを伺いましたが、ちょうどいいタイミングで城さん(大映なのでこう呼ばせていただきます)を取り上げていただきました。新撰組を取り扱った作品は数ある中で、城さんの近藤勇、天知さんの土方歳三、田崎潤さんの芹沢鴨は、ベストの組み合わせと思っています。池田屋のシーンもさすがの立ち回りでした。「眠狂四郎」では素手での立ち回りでしたが、いかにもパンチが重そうでしたね。同じ役で2回シリーズに登場したのは城さんだけではないでしょうか。

それから、田崎さんは芹沢のような役が本当にはまっていましたね。昭和30年代には大映のほかに東宝や新東宝など、各社の作品に出演されていましたが、所属はフリーということだったのでしょうか。
返信する
若山富三郎 (猛虎)
2015-03-09 11:01:39
大映時代の記憶は殆どないんですよ。何本か出演作も見ている筈なのに。やはりその後の東映での印象が強いからでしょうか。鶴田浩二と共演した任侠映画「総長賭博」は、三島由紀夫も絶賛して今だに語り続けられる名作だし主演作の極道シリーズや、藤純子の緋牡丹博徒での助演など、東映で花開いた俳優ですね。
彼の所業は、山城新伍などの著作で、多少の尾鰭もあるのでしょうが面白おかしく伝えられ、何度読んでも吹き出してしまいます。
弟があの勝新かと思うと余計におかしさが増してきます。
しかし、子連れ狼などで見せる殺陣は見事でした。
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Unknown (黒ぼう)
2015-03-09 18:10:40
城健三郎さんは1963年の三隅研治監督の”舞妓と暗殺者”(大映京都)にもお出になられていませんか。今月東京阿佐ヶ谷のラピュタでかかっていたので、間違いないと思います。重厚な演技が冴えておられたと思いました。老婆心ながら、失礼しました。
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Unknown (中島けん)
2015-03-09 19:27:06
タム親父さん

いま考えても若山・勝は凄い兄弟でした。
周囲でもう少し上手くコントロールする強い人がいたら、もっと長生きして活躍
していた兄弟だったと思います。本当に残念です。

田崎潤さんの所属については、申し訳ありませんが承知していません。
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Unknown (中島けん)
2015-03-09 19:33:00
猛虎さん

東映での武勇伝は、私もいろいろ見聞しますが面白いですね。
喧嘩して拳を振り上げても、制止する人を待っている・・・、控えの部屋を勝手に壊して広げようとした・・・なんて挿話は山ほど
ありです。
彼の一代記が書かれたら面白いでしょうね。
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有難うございます。 (中島けん)
2015-03-09 19:36:54
黒ぼうさん

ご指摘ありがとうございました。私のうっかりチェックミスです。済みません。
早速訂正させていただきました。どうかこれからも宜しくお願いします。

返信する
Unknown (高橋信二朗)
2015-04-22 12:50:06
突然のコメント失礼を致します。
5月に富三郎先生のエピソードの舞台に出演させて頂きます。大映時代と東映に移られてからのお話になります。当時、離婚された時や一年間の出演停止になった時の先生のご様子や、スタッフの方々の反応はどのような感じだったのでしょうか?
また、先生に付いていらっしゃった方々は、先生とどのような関係性だったのでしょうか?
何か参考に出来るお話がございましたら、お聞かせ頂けると幸いです。
宜しくお願いいたします。
返信する
Unknown (中島けん)
2015-04-22 20:54:15
高橋信二朗さん
コメント有難うございます。舞台をやられるとか、お疲れさまです。

私は勝ちゃんとは入社が同時でしたので、公私ともにお付き合いしまして、
勝ちゃんのことなら詳しくお伝えできるのですが、お兄ちゃんのことは
詳しく知りません。

私は毎月撮影所に会議で行っていたので、所内の噂とか、宣伝部の同僚
からの話で何とかブログを書いたのですが・・・。

お兄ちゃんは結局は大映の水が合わなかったし、東映の水がピタリあった
のでしょう。
とても仲がいい兄弟だったし、お兄ちゃんも弟も人はいいのですが、我儘なのは
兄弟とも似ていたようです。お申し出にお応えできずごめんなさい。
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Unknown (高橋信二朗)
2015-04-23 12:23:06
ご丁寧に返信頂きありがとうございます。
若山騎一郎氏、堀田眞三先生、森章二先生と東京だけでなく、いくつか回らせて頂きます。
昭和の諸先輩方の雰囲気を出せるように頑張ります。
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Unknown (中島けん)
2015-04-23 22:56:53
高橋信二朗さん

オ役に立てず申し訳ありません。
もし福岡での公演が実現すれば、ご一報ください。

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