映画が中心のブログです!

中島けんです。新しい映画や舞台の感想を中心に、大映の思い出、海外旅行・地元の話題などを写真付きで書かせていただきます。

大映株式会社宣伝部 ~ その2

2011年11月12日 | 日記

 

     先ず↑のスナップの説明から・・・。ある時行なわれた全国地方紙映画担当記者
     と宣伝部との懇親会スナップです。
     一番後ろの列、左から中島(九州担当課長)、山口(東京撮影所宣伝課長)、村山
     (関西担当係長)、高橋(中部担当課長・故人)、二人飛ばして舟橋(東京撮影所長・
     故人)、新津(北海道担当課長)、瓦井(本社宣伝係長)、浜本(宣伝部長・故人)。
     この写真の中に峰岸徹・平泉成・渥美まりがいますので見つけてください。
     なお、峰岸の右上が林(本社宣伝課長・故人)で、私の親友でした。

     私が宣伝部に入った時の宣伝部長は加賀さん、加賀まりこのお父さんです。
     まりこさんのお兄ちゃんも宣伝部にいたし、水泳の古橋選手とともにその名をは
     せた橋爪四郎などもいました。その他に右翼で超有名な人の息子、著名建築
     会社の息子、もと警視庁長官の甥などなどもいて宣伝部は多士多彩でした。

     私が仕えた宣伝部長は加賀さんをはじめ、野田・舟橋(舟橋聖一氏の女婿)・浜
     本(「浅草の灯火」の浜本浩氏の息子)・船橋・・・部長ですが、この上に"ゴール
     デンウイークの名付け親"である松山専務、そして永田雅一社長という構成で、
     つまりは社長直轄の集団でした。

     新しい作品の企画が決定するのと同時に、全ての作品の脚本が我々のところに
     回ってきます。それを熟読し、当時の言葉通りに書きますが、宣伝方針・特別
     宣伝プラン・宣伝文案などが宣伝会議で検討されるのです。会議は永田社長も
     出席して、本社・東京撮影所・京都撮影所で順次開催されるのですが、私もメ
     ンバーであったため大映中枢の人たちと常に顔を合わせるポジションにいたこ
     とになります。

     宣伝材料は、題字・ポスター・特殊宣伝物・カレンダーなどを本社が作成、後は
     それぞれの地区のカラーに沿って各支社の宣伝課長の責任で作成していたの
     です。
     図案担当2名を含め九州支社宣伝課だけでも11人という大所帯で、新聞広告・
     車内吊りポスター・チラシなどは各社間でその内容・出来具合などを競ったも
     のです。
     私の責任で作った新聞広告が2度も電通賞映画新聞広告賞を獲り、朝倉摂作
     成のブロンズ像は今でも手元にあります。電通賞は本社でも獲ったことがないと
     いうので大いに面目をほどこしました。

     全国の宣伝・広告費のうち九州支社の持分は12%でしたが、支社の支社長で
     さえこの使い方について指示する権限は無く、宣伝課長は随分羨ましがられた
     ものでした。
     この中にはマスコミ対応に使用する間接費も含まれていて、新聞・週刊誌・テレ
     ビ局などの皆さんとはお陰で親しい付き合いが出来ましたね。
     そんな立場の宣伝部ですから、監督や俳優さんとは自然に仲良くなるのは当然
     で、毎度のように会議が終わった後は朝までの会議?は当り前の状況でした。 
                                        (続きます)

  
  ↑結婚する前の玉緒ちゃんと私       ↑ニューフェース審査で私も指導役を

  
  ↑前回紹介した「野火」宣伝の戦車と私  ↑左から勝新・川上康子・若松和子・永田副社長・私

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 映画 「インモータルズ ~ 神... | トップ | 映画 「僕たちのアフタースク... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

日記」カテゴリの最新記事