昭和35年(1960)前後から本社、東京・京都撮影所での会議に出席することが多くな
り、東京撮影所の時は調布の旅館、京都撮影所の時は花見小路の旅館、本社の時
は東京プリンスホテルが定宿でした。そんなことで本社会議の際には時間を作って日
劇や日劇ミュージックホールなどに良く行ったものです。
当時、日劇に出演していた水谷良重は素晴らしいスタイルとコケティッシュな魅力があ
り、一辺でファンになってしまった事を覚えていますが、そのご本人が廻り回って後年、
大映作品に出演することになるとは思いもよらぬことでした。
彼女は昭和14年(1939)に14代守田勘彌と初代水谷八重子の間に生まれた子で、新
派の舞台やジャズ歌手としてデビューし、たちまちにしてスターの座に登ります。
昭和34年(1959)にドラム奏者の白木秀雄と結婚、昭和38年(1963)には離婚しますが
彼女の活躍は衰えず、映画は彼女が新派女優であり歌手でもあったため5社協定の
枠内に入らなかったことで、33本(間違っていたらご免なさい)の各社作品に出演してい
ます。
中でも大映出演は14本と突出していて「からっ風野郎」「悪名シリーズ」「新源氏物語」
「続・座頭市物語」「続兵隊やくざ」「眠狂四郎多情剣」「眠狂四郎地獄」などに出ていま
すが、「悪名シリーズ」の糸路役が特に印象的です。
彼女は平成7年(1995)に母の後を継いで2代目・水谷八重子を襲名、現在77歳になり
ますが、今も新派の座頭女優として活躍しています。
良重さん(大映の話なのでこちらのお名前がしっくりきます)は、いろいろな役を演じて来られましたが、演技的に一番難しかったのは「新源氏物語」の末摘花ではなかったかと思います。原作では鼻が赤い、まあ醜女(失礼ですが)として描かれていて、それでも光源氏が世話を焼かずにいられない魅力があって、最後は他の女性たちと一緒に屋敷に引き取るという展開になっています。そのような醜女の魅力を映像で、演技で見せるというのはかなりの力量を必要とすると思います。それを演じていたのですから、良重さんの演技力はお母様の初代八重子さん譲りということですね。新派と言えば、菅原謙治さんも所属されていましたね。
それから、「続兵隊やくざ」では良重さんは芸者の役で、勝さんの大宮が当番兵になる睦五郎さんと上野山功一さんの2人の曹長との間の三角関係的な役回りでした。この作品では上野山さんが人のいい、気の弱い役で、いつもとは違った印象でした。
彼女の映画出演は大映が多かったのは、彼女を上手く生かしてくれると思った
のに違いないでしょう。
決して美人とは言えないのですが、他の人には見られない魅力や雰囲気のある
人ですね。
新派の舞台も見ていますが、映画が一番合っている気がしてなりません。