原作より優れた映画になったのではないかと言えば、私の頭にすぐ浮かぶのは「無法
松の一生」と「座頭市」です。ご存知のように、「無法松の一生」は、昭和18年に板東妻
三郎の主演で、昭和33年には三船郎で、昭和38年には三国連太郎で製作されており、
昭和40年の勝新太郎・無法松は四本目に当たります。
勝ちゃんが「無法松の一生」を撮ることが決まって、是非とも北九州市に住んでいる原
作者の岩下俊作氏とお会いしたいし、小倉で祇園太鼓を体験したいと言うので段取りし
ました。
当時はお元気だった原作者の岩下俊作氏を私は以前から存じ上げていたので、引き
合わせしましたが、岩下さんは私が書いた無法松のイメージは勝ちゃんが一番近いと
仰言っていました。
続いて小倉の街に出てちょうどお祭り前の"太鼓の祇園"を体験しましたが勝ちゃんは
ここでも大ハッスルでした。
↑ 原作者・岩下俊作さんと
九州の出身の人から
「無法松の一生」には特別の思い入れある方が多い
というようなことを聞いたことあります。
私は原作者の岩下俊作氏の風貌はじめて知りました。
岩下氏とのツーショットの勝さんが神妙な雰囲気で
こういう表情も素敵です。
勝さんは、お三味線の名手だったそうで
リズム感が抜群の方からすると
太鼓もお手のものでしたでしょうね。
中島さまは
勝さんの太鼓の練習の場を
目にされたことありましたか?
ここではあまり話題になっていないようですが、フェイスブックでは
かなり評判になり、コメントも沢山いただきました。
こちらは貴女様だけ、それでも嬉しいです。
勝ちゃんの三味線も、歌も私は生で何回も見たり聞いたりしています。
本当に素晴らしいですよ。
小倉祇園太鼓や岩下さんとの写真は、私が撮ったものです。
太鼓の練習は勿論見ていますよ。
無法松が叩く祇園太鼓は、最初の阪妻版の時、稲垣監督が音楽の方と工夫して作ったもので、本物ではないそうですが、どちらが正しいのでしょうか。
祇園というからには、花街に関係が深いので、優雅なもののように思うのですが。
少し早いテンポの打ち方はありますが、映画の打ち方は、貴兄が
仰るように最初の映画で作られたものというのが正解だと思います。
いつも有難うございます。
中島さまが撮られた写真の中村玉緒さん
生き生きと、お若いですね。
勝さんの、なま三味線、なま歌を
みじかでご覧になっていた方って
そう、いらっしゃらないと思います。
いつでしたか雑誌で若山富三郎さんと
紋付き、袴でお三味線を抱えてる写真を見ましたが
とっても格好よかったです。
よく、文化人の方々や、各業界の有名な方々が
外国のレセプションで
こういう正装姿で登場され、
「称賛浴びた」 という記事を読むと
日本人として誇らしい気持ちになります。
中島さまは、今回ご紹介の岩下俊作先生や
三浦綾子先生、山崎豊子先生、三島由紀夫先生、吉川英治先生
沢山の作家さん達とお会いになったのですね。
ご著作本の中で三浦綾子さんの事にふれた所を読んだら
私が思っていたままの方で、嬉しくなりました。
若いころの玉緒ちゃんは、可愛らしくって可愛らしくって、誰がこの子と
結婚するのだろうとみんなで話し合っていたものでした。
作家の方とはお会いする機会が多々ありましたが、やはり一番印象に
残ったのは三浦先生で、「氷点」の時でしたが、「映画化については、
原作を渡した以上は、どうしろこうしろとは言いません」の言葉でした。