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中島けんです。新しい映画や舞台の感想を中心に、大映の思い出、海外旅行・地元の話題などを写真付きで書かせていただきます。

永田雅一氏のこと、その7

2011年06月30日 | 日記

      

     この関連の日記を書き始めて今回が7回目になります。最初は2~3回でと思っ
     ていたのですが結構長くなっています。もう少々お付き合いください。


     さて、永田雅一氏とくればワンマンにラッパですが、次に出て来るのが「羅生門」
     です。当時の世間や業界は「黒沢明はグラン・プリ、永田雅一はシラン・プリ・・・」
     と囃し立てました。でも実際はどうだったのだろう・・・。
     このあたりを永田雅一氏の語りからご紹介しながら振り返ってみたいと思います。

     永田雅一氏の言葉から=
     今だから言うけれども、実はこの「羅生門」は偶然に作った訳じゃあない。私の
     不徳と致すところか、私にそれだけの人間の価値がないのか、今さらそんな事を
     言っても仕方がないが、それはとにかくこういうことだ。

     戦後の世界の映画界に氾濫しているフイルムを見てみると、アメリカのアクション
     ものや絢爛たるスペクタクルものと、フランスのラブ・ストリー、イタリアのリアリ
     ズムが、強いていうなら当時の映画市場に流れている。
     そこでなにかこれらの 範疇に入らないもので変わったものを作りたいと思った。
     それは東洋的な哲学で、なかんずく、思想の底流には仏教的なものが入っている、
     (注・永田氏は熱烈な日蓮宗信者だった)そういう仏教的なヒューマニズムを映画
     に取り入れたいいんじゃないかと思っていた時に芥川の「藪の中」と「羅生門」を
     ミックスした企画が出てきた。

     ちょうど、戦後の東宝が労働争議で芸術家が仕事が時期だ。東宝の森岩雄君が
     やってきて、「永田さん、ひとつこの混乱している最中に、我々の芸術家を守って
     やってくれないか・・・」と頼まれたので、喜んで引受けようということで、黒沢明君
     にこれをやらせようじゃないかということになった。

     ところがその時はこの脚本が私にはピンとこなかった。それでああでもない、こう
     でもないで、脚本の決定に1年もかかった。この事情は世の中にわかっていない。
     黒沢君と私の関係だけでやりあった。結局私の方が妥協した。
     ただ、私はプロデュサーだから、自分が納得出来るものを作らないと、後日まで割
     切れない気持ちでいなければならないから、たびたび京都へ行って撮影中の黒沢
     君に、こうしてくれ、ああしてくれと注文をつけた。
     黒沢君もその当時はいやなやつだと思っただろうが、あとで本人が私のことを「い
     いやつ」といったそうだから、お互いになんら含むところはなかったわけだ。
     「羅生門」はそうしてこしらえた。

     はたして一風変わったものが出来たから、これを如何にして外国人の話題にさせる
     得るかと考えていた時に日本に来ているイタリフイルム社の社長のストラミジョリ
     という女性が「永田さん、それにはちょうどよいものがある。毎年世界の映画業者
     が集まって、ヴェニスで国際映画芸術博覧会というものをやっている。これに参加
     したらどうです」というわけだ。
     まず女史に映画を見せたら変わったものだといってビックリした。
     そこでいい悪いはわからないが、ともかく変わっているから出されたらどうか、と
     いうので外務省と連絡して出品し1951年度のグラン・プリを獲った。

     だから私としては偶然に作ったわけではない。やはり大きな野心と涙ぐましい努力
     の結果で、いろいろなエピソードもあった。それに対して一部の人たちが、なあに
     あれは偶然だろうという。外国人がいうならばともかく、日本人があれは永田の
     まぐれ当りだ、なんて言った。そこで、なに見ていろ、なにくそ!と私も発奮した。
     それには、その後続いて大映が世界の映画祭に出して、いろいろの賞をとっている
     のを見ても分かると思う。

     常識的に、日本の人情風俗は外国人が見てたしかに複雑怪奇だ。だから外国人に
     見せるにはストーリーが簡単で、登場人物が複雑怪奇というものを作らなかったら
     ダメだ。だから「羅生門」においても、「地獄門」においても、「雨月物語」において
     も、主要人物はわずか2人か3人で芝居をしている。
     そういうものがみんなグラン・プリを取ったり、作品賞を取っている。そうして私の
     野心を満たしてくれるのだ。


     以上が当時永田雅一氏の語った内容です。
     「黒沢明はグラン・プリ、永田雅一はシラン・プリ・・・」をどのようにジャッジされ
     るかは皆様のご自由です。
     ただ「羅生門」は国内での公開も、グラン・プリを取ったあとの凱旋公開でもあまり
     興行的には当りませんでした。
     そして「羅生門」を作った大映京都撮影所、日本で有数の映画人を擁し、最高の
     製作技術を持っていたこの撮影所は、今では取り壊されて跡形もありませんが、
     当時の私は毎月1回、京都撮影所の会議に出席するのがとても楽しみでした。(続く)

  
   世界一と言われた宮川一夫カメラマン(故人)    羅生門のオープンセット
    
      ツワモノどもの夢のあと。撮影所は無く石碑が・・・。
 
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8 コメント

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Unknown (hayamin)
2011-07-02 00:06:52
実際はどうだったのか…まさにこの映画じゃありませんが「藪の中」ですね。
ただ、他社に比べても大映がはるかに多くの芸術的な映画を作っていることは明らかですし、溝口監督と永田社長の結び付きから鑑みても、永田社長が芸術家に全く無理解な人だったとは、到底思えませんよね。
そういう意味では、「羅生門」をめぐる逸話は少し誇張されていると思うし、必要以上に永田ラッパをあえて悪者にすることで、黒澤監督を持ち上げようとする意図があるのではないか、とふうには感じています。
返信する
おはようございます。 (けん)
2011-07-03 06:18:55
hayaminさん

 立寄っていただき嬉しいです。
 私はもと大映社員ですが、あまりにも永田社長の実像が
 知られていないので書いています。

 あと何本か続けますので、これからも宜しくお願いします。
返信する
Unknown (hayamin)
2011-07-04 02:03:09
何度も立ち寄らせていただいています(笑)

私は永田社長が好きです。
いろいろ毀誉褒貶ありますが、何か、"憎めないおやじさん"、って感じはしますよね。
少なくとも「映画を愛した最後のカツドウ屋」と言う印象です。
そういう永田社長の良い面を、これからもどんどん伝えてください。
返信する
こんばんわ。 (けん)
2011-07-04 19:59:49
hayaminさん

 そう言っていただくと、この日記を書いて本当に良かったと思います。

 映画ばかりでなく、プロ野球でも大きな貢献をしていますし、今やっている
 セパ交流戦は永田氏が当時から提唱していたことです。

 どうかこれからも宜しくお付き合いください。

返信する
グラン・プリの獅子像 (小三太夫《改))
2011-09-19 05:02:34
 こんばんは、いや、おはようございますですね。
 けんさんの ブログを少しずつ拝見させて頂いて居ります。

 「羅生門」がベネチア映画祭のグラン・プリを受賞し、その獅子像を永田社長自らが東京三田のイタリア大使館で受け取られているそうで、私の友人に父親がイタリア大使館員だったのが居まして、大使館内に大きな池が有り子供の頃に良く遊んでは池にボチャン!!と落ちたそうで・・・多分、永田社長も、その大きな池をご覧になって獅子像を持ち帰られたと思います。

  けんさんのお話、毎回楽しみにしております。
毎日、お忙しいと思いますが、私達に聴かせてやって下さいませ。



返信する
おはようございます。 (けん)
2011-09-19 08:50:31
小三太夫(改)さん

 まさかここに立寄っていただけるなんて思ってもいなかったので驚いています。
 でも嬉しいです。

 この永田社長に関する日記は、ミクシィに書いたものに少し手を加えて載せたもので、
 少し落ち着いたら続編に取り掛かりたいと思っています。

 お身体の具合はその後いかがですか?

返信する
Unknown (くみかおる)
2011-09-21 18:13:56
私はアニメ史の研究者です。
大映とディズニーの関係について今調べています。
いくつかうかがいたいことがあるのですがメールはどちらにおくったらよろしいでしょうか・
返信する
こんばんわ。 (けん)
2011-09-22 19:19:17
くみかおるさん

 お立ち寄りいただいて有難うございます。
 私も大映に在籍していたとき、実際にディズニー作品の宣伝にかかわりました。
 ただし、私の入社以前にディズニーとの提携は始まっており、どれだけ
 お答え出来るか判りませんが、私のアドレスをお教えします。
  nakajimamasaru@fcv.ne.jp です。

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