かねやんの亜細亜探訪

さすらうサラリーマンが、亜細亜のこと、ロックのこと、その他いろいろ書いてみたいと思ってますが、どうなることやら。

がんばれベアーズ

2007年01月22日 | USA

まさかと思ったのだが、何とベアーズが、スーパーボウルに進出してしまった。
21年振り!!

私が、赴任した1987年頃は、まだ、スーパーボウル初出場、初優勝(1986年1月)の余韻が残っていた。優勝時には、当時世界一の高さを誇っていた"Sears Tower"に、"BEARS"の文字が浮き出されたと聞いた。
が、それから、結局泣かず飛ばずで、今回21年振りに、2回目のスーパーボウル出場となった。確か、1920年創設だったはずで、決して強いチームではない。でも、人気は、高かった。

私も、ソルジャーフィールドには、何回か応援に行ったが、寒いの何の。今日の試合も氷点下の中だったようだ。デストロイヤーのような帽子(目だし帽)をかぶって応援している人がいる一方、上半身裸の人もいた。熱烈なファンは、どのチームにもいる。熱燗がないので、その寒さでも、ビールを飲みながらの観戦になる(アルコールが欲しい人は)。

当時、伝説のRBのペイトンは、既に引退していた(45歳で早世した)。
QBのマクマーン(サックされるとすぐ肩を壊し故障ばかりだったが、スーパーボウルでは、超人的な活躍をした)、DEのリチャード・デント(派手で、絵になるディフェンスだった)、" Refrigerator = 冷蔵庫 "ことウィリアム・ペリー(ディフェンスの真ん中で、大きい図体でびくともしなかったことからこのニックネームがついたが、この体格を利用し、飛び込みTDを決めたこともある)、マイク・シングレタリー(ディフェンスの要で、まさにチームの中心・リーダーの頼りがいのある奴だった)という、個性あふれる魅力のあるチームだった。
コーチのマイク・ディトカは、東欧系の人(ポーランド系?)だったが、ちょび髭をはやし、本当にBEARみたいな風貌だった。すぐ興奮するタイプで、確か心臓に持病があり、よくぶっ倒れた。

私が、見ていた頃は、マクマーンが絶頂期を過ぎて、攻撃の要に欠け、ディフェンスは引き続き強かったものの、もう一息で、プレーオフ進出を逃すシーズンが多かった。プレーオフに出てもすぐ負けた。
近年も、負け越しが続いていたのだが、何故今年は、急に強くなったのだろう。ずっと続けてウォッチしているわけではないので、わからないが。

まあ、せっかくここまで来たのだから、是非スーパーボウルに勝って、再び、"Sears Tower"に、"BEARS"の文字を、浮き上がらせて欲しい。

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