かねやんの亜細亜探訪

さすらうサラリーマンが、亜細亜のこと、ロックのこと、その他いろいろ書いてみたいと思ってますが、どうなることやら。

韮山反射炉と江川家

2015年05月05日 | Other Eastern Japan
たまたま昨日訪れた韮山反射炉だが、ユネスコ世界遺産に向けて、一歩前進したそうだ。
他の、さまざまな施設と共にの登録だが、地元も大喜びだろう。
ここに、日本最初の製鉄施設があったとは、昨日訪れるまで、知らなかった。



伊豆は、しょっちゅう来ているが、まだ行けてなかったのが、この韮山反射炉。
耐熱煉瓦でできた煙突が、4本そびえたつ。
当初は、8本だったらしいが、今残るのは4本。
その下が、溶鉱炉になっていて、出たところから、大砲の鋳型に流し込み、隣りの川で水車を回して、中を刳り貫いたという。
手作り感あふれる製鉄所だ。



この左が反射炉部分で、石炭を燃やした熱を、炉内で反射させることによって、高温化。鉄鉱石を溶かして、鉄を作った。



この幟も無駄ではなかった。



近くで、茶摘み発見!と思ったら、観光用だそうで。
今時、この格好で茶摘みはしないよね。



反射炉近くの江川家にも訪問。
江川家は、平安時代から続く名家で、現在42代目。
36代英龍代官の時に、この反射炉を作った。

家は、重要文化財だが、公開されていて、その立派さと、展示品の数々に目を奪われる。
子孫も立派な人ばかりで驚くが、英龍氏は、文化人、開明思想家、革新的技術者として、特に、名を遺した。
松下村塾より前に、江川塾を開き、国防の必要性を訴えた。
黒船が来航し、徳川幕府も、その必要性に目を背け続けるわけにはいかず、この製鉄所と、お台場を、築造することになったという。
ちなみに、福沢諭吉に、三田の土地を譲渡したのも、江川家というから、その人脈には驚くしかない。



家も庭も広大。
日蓮聖人ももてなしたというから、驚きである。
今の母屋は、室町から江戸にかけて作られたものだが、1993年に大規模修繕が行われ、今に至っている。
中には、江川氏の書いた絵や、ロシア人との交流、当時の塾等が、展示されていて、江戸から、明治にかけての、歴史と共にあった江川家の様子がよくわかる。
反射炉とセットで訪れるべし。
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