昨日のいい天気に誘われて、鎌倉散策をしたお話はした(今日の天気だったら、行かなかったろう)。お土産の話もした。でも、何を見たのかについては、まだということで、今日は、鎌倉散策(表版)。
鎌倉と行っても、しばらく行っていないところも多く、そういったところを、さらっと回ってみたので、さらっとおさらい。

宝戒寺は、八幡様に向かって右手に行った突き当りにある。北条家の屋敷跡に足利尊氏が創建した寺だ。萩が有名とのことだが、今は、新年でにぎわっていた。今の時期、お堂にはいると、仏画を拝むことができる。

宝戒寺から奥に進み、左に曲がったさらに奥に、源頼朝のお墓がある。武士による政治を始めた人の割には、こじんまりしたお墓だ。2mぐらいであろうか。

その右奥には、崩れかけた階段があり(危ないからロープもそなえつけてある)、その先の山道をちょっと行くと、頼朝の側近であった大江広元ら3人のお墓がある。これらもかなりさびれている。

そこから本道に戻りちょっと行くと学問の神様である菅原道真を祭った荏柄天神社がある。源頼朝が創建した神社で、今の時期、受験生が多く訪れる。

その先にお宮通りがあり、鎌倉宮への参道になっている。明治天皇の命により、建武の中興に力を尽くし、非業の死を遂げた後鳥羽上皇の子供である護良親王を祭るために創建された神社である。親王が足利尊氏により幽閉されていた場所という。

この境内には、石が二つあり、この石で、百円のお皿を割ることにより、厄を落とせるという。その名も”厄割石”。厄年とは関係のない、元気のいい男の子のいるFAMILYに大人気で、相当数の破片が積み重なっている。力みすぎて、暴投しないように注意しよう。当たれば、よっぽどのことがない限り、ちゃんと割れるようだ。

その先しばらく行って、瑞泉寺に行く途中に、護良親王のお墓があるのだが、山中にあるお墓の方は、立ち入り禁止になっていた。たぶん修復中か何かなのだろう。かなり急な階段を苦労して登っただけに(200段近くあり、段差もある)力が抜けた。写真は、階段の手前にある、仮?の墓標のようである。

最後に訪れたのが瑞泉寺。昨日訪れた中では、一番よかった。参道途中に土鈴屋があるが、ご主人が丁寧に一つ一つ描いている。何でも、このおじさん、元帝国ホテルのコックさんだったそうで、この土鈴に絵を描き始めたのは、退職後。おかげで、80を越えた今も大元気。数々のスターも訪れる店のようだ。

本堂に向かう石段も趣があっていいし(今も紅葉が残っていた)、本堂の落ち着いた優美なたたずまいと、その前の植物で一杯の庭園は、息を呑む。鎌倉公方の墓所だったところに創建された古刹という。今は、シーズンオフだが、四季折々、様々な花が咲き乱れるそうで、”花の寺”と呼ばれている。本堂の前には、立派な梅の木があったので、あと1~2ヶ月もすれば、また違った楽しみ方もできるだろう。

お寺の裏には、今は荒れた庭園跡があるが、夢窓疎石による、唯一当時から残る鎌倉時代の庭園という。貴族的な優雅な文化も尊ばれていたことがわかる。
ということで、さらっとした散策の割りには、大充実。まだまだ鎌倉には見所がたくさんある。乞うご期待(と言ってもいつになるかわからないけど)。
鎌倉と行っても、しばらく行っていないところも多く、そういったところを、さらっと回ってみたので、さらっとおさらい。

宝戒寺は、八幡様に向かって右手に行った突き当りにある。北条家の屋敷跡に足利尊氏が創建した寺だ。萩が有名とのことだが、今は、新年でにぎわっていた。今の時期、お堂にはいると、仏画を拝むことができる。

宝戒寺から奥に進み、左に曲がったさらに奥に、源頼朝のお墓がある。武士による政治を始めた人の割には、こじんまりしたお墓だ。2mぐらいであろうか。

その右奥には、崩れかけた階段があり(危ないからロープもそなえつけてある)、その先の山道をちょっと行くと、頼朝の側近であった大江広元ら3人のお墓がある。これらもかなりさびれている。

そこから本道に戻りちょっと行くと学問の神様である菅原道真を祭った荏柄天神社がある。源頼朝が創建した神社で、今の時期、受験生が多く訪れる。

その先にお宮通りがあり、鎌倉宮への参道になっている。明治天皇の命により、建武の中興に力を尽くし、非業の死を遂げた後鳥羽上皇の子供である護良親王を祭るために創建された神社である。親王が足利尊氏により幽閉されていた場所という。

この境内には、石が二つあり、この石で、百円のお皿を割ることにより、厄を落とせるという。その名も”厄割石”。厄年とは関係のない、元気のいい男の子のいるFAMILYに大人気で、相当数の破片が積み重なっている。力みすぎて、暴投しないように注意しよう。当たれば、よっぽどのことがない限り、ちゃんと割れるようだ。

その先しばらく行って、瑞泉寺に行く途中に、護良親王のお墓があるのだが、山中にあるお墓の方は、立ち入り禁止になっていた。たぶん修復中か何かなのだろう。かなり急な階段を苦労して登っただけに(200段近くあり、段差もある)力が抜けた。写真は、階段の手前にある、仮?の墓標のようである。

最後に訪れたのが瑞泉寺。昨日訪れた中では、一番よかった。参道途中に土鈴屋があるが、ご主人が丁寧に一つ一つ描いている。何でも、このおじさん、元帝国ホテルのコックさんだったそうで、この土鈴に絵を描き始めたのは、退職後。おかげで、80を越えた今も大元気。数々のスターも訪れる店のようだ。

本堂に向かう石段も趣があっていいし(今も紅葉が残っていた)、本堂の落ち着いた優美なたたずまいと、その前の植物で一杯の庭園は、息を呑む。鎌倉公方の墓所だったところに創建された古刹という。今は、シーズンオフだが、四季折々、様々な花が咲き乱れるそうで、”花の寺”と呼ばれている。本堂の前には、立派な梅の木があったので、あと1~2ヶ月もすれば、また違った楽しみ方もできるだろう。

お寺の裏には、今は荒れた庭園跡があるが、夢窓疎石による、唯一当時から残る鎌倉時代の庭園という。貴族的な優雅な文化も尊ばれていたことがわかる。
ということで、さらっとした散策の割りには、大充実。まだまだ鎌倉には見所がたくさんある。乞うご期待(と言ってもいつになるかわからないけど)。